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皇紀2684年(2024)5月

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目指すべきは公益資本主義社会

 渋沢栄一は「資本主義」ではなく「合本主義」と呼びました。合本主義とは、道徳とビジネス、公益と私益のバランスを量り、そのために道理を通すことが重要であり、社会貢献なくして利益追求なしであると説きました。つまり道理と事実と利益とは必ず一致するものであるということです。日本が目指すべきはアメリカ型「私益資本主義社会」ではなく「公益資本主義社会」であるべきだと思います。

日本の伝統社会

 未だに勘違いしている人が多いのですが、日本の士農工商は階級制度ではなく職業制度でした。金を握る商人には権限を握らせず、権限を握る武士には金を握らせないためです。また天皇には権威は有っても実権はなく、幕府には実権は有っても権威はありませんでした。実に合理的でしょう。それが日本の伝統社会であり文化なのです。

臣民政治

 民主政治を大衆政治と言い代えたらいかに危ういものであるかが分かります。質が落ちたらたちまち衆愚政治に陥ってしまうからです。単に大衆に任せていては必ず衆愚政治に陥ります。だから臣民政治が良いのです。臣民になるには、また臣民であり続けるには厳しく資格を問われます。だから臣民政治は堕落しないのです。あの明治の天才井上毅が草案を作った明治憲法では、条文中に人民や国民の文字は一切使われず、すべて臣民で統一されています。ところが現行憲法には臣民という言葉はどこにも使われていないのです。

臣民とは

 臣民とは出自に関係なく、己が日本国の一部であると意識し、一個人として自立し、法に従い、社会的責任をとり、競争に勝ち抜く努力をし、絶対服従ではなく、正義に反していれば拒絶する者のことです。私は節度を守って暮らしてきた地方の旧家の人々こそ本当の臣民だと思います。ですから旧家の人々はもっと自分の存在価値を自覚し、世間に対してアピールすべきだと思います。

臣民の国

 明治憲法には条文中に「人民」や「国民」の文字はなく、すべて「臣民」で統一されています。天皇のことを単に君主と称することに抵抗を感じるのと同じく、自分自身を単に「人民」「国民」と称することに抵抗を感じるから「臣民」となっているのです。臣民なるものは実に日本にだけ存在するのです。ですから日本を「臣民の国」に戻さなければなりません。戦後、主権が天皇から国民に移ったと言いますが、それは国民が望んだものではなく、日本に合わないものです。日本の主権者は昔から「君民一体」なのであり、「君民共治」なのです。ですから国民に臣民意識を高めるため「臣民勅語」を作り広める必要があると思います。明治の天才井上毅の教育勅語に倣ったものにすると良いでしょう。