グローバリズム
グローバリズムは「人・物・金」の国境をなくし、国民国家・国民経済を破壊して世界を均一化し、無性格で強者のみが生き残る弱肉強食の草刈り場にしようとするものです。つまり全人類を祖国無き民であるユダヤ人化しようとするものです。しかし人間世界を本当の幸福に導くには、それぞれの民族と国家が個性と長所を競い合い、尊敬し合い、高め合う関係を築くことです。
国際金融勢力と国連の危険性
戦争や原爆などを使った無差別大量虐殺は、このままでは世界が破滅してしまうと脅すことで、世界政府を世界の国々に受け入れさせるためであり、それを主導しているのは国際金融勢力と国連です。それは戦後もずっと行われ続けています。国連は世界の人々の自由と権利に対して最も危険なものです。核兵器よりも危険なものです。
アメリカ人は家畜
アメリカは世界で最も裕福な国です。しかし一般のアメリカ人は国際金融勢力によって広大なアメリカ牧場に放牧されている家畜のようなものです。家畜は自分たちを自由だと思っているでしょうが、しっかり管理されており、必要に応じて間引きもされています。同様な国は世界中にたくさんあり、日本人もそうなりつつあります。
貧富の差が広がれば国は滅びる
ある国で貧富の差が広がれば中間層がいなくなり、貧民は富民に強く対抗していくようになり、裏切りや暗殺、追放などが横行し、国のもとに奉仕する精神が失われ、貧民が従軍できなくなり、軍事力は著しく弱まり、国は滅びます。国が滅びればもとよりその国に愛着を持たないグローバリストたちは別の国へ移動し、そこで同じことをします。
公益資本主義
世界は公益資本主義に移行すべきです。会社は従業員、顧客、取引先、地域で成り立っています。その仲間たちに利益を分配するのが公益資本主義です。中間所得層が増えて所得格差が少なくなり、社会が安定します。経営も長期で考えられます。また四半期決算を廃止すべきです。短期業績に振り回されないばかりか、頻繁な決算の開示に費やす資源を他の分野に振り向けられます。日本こそ最初に四半期決算廃止を表明するべきだと思います。
自然界に平等はない
平等などと言うものは世界のどこにも存在しません。それは神話です。自然界に平等は見い出せません。
旧家は捨て石となれ
旧家の地位向上は目的ではありません。伝統的価値観に基づく日本を取り戻すことが目的であり、そのための捨て石となるのです。
安全保障には二つある
安全保障には軍事的安全保障と生活安全保障があります。公共事業とか土木事業は生活安全保障です。
早く伝統的価値観を取り戻すべき
かつてモンゴル帝国に支配された地域はその苛烈さから国民性が変わってしまいました。二度と同じ目に合わされたくないという脅迫感から暴力的な性格になってしまいました。日本もアメリカに支配されて国民性が変わってしまいましたが、幸い7年間と短期であり、それほど苛烈な支配でもなかったため深刻なダメージはありませんでした。だからこそ早く本来の伝統的価値観を取り戻さなければなりません。
戦後破壊された日本独自の伝統文化の中にこそ、日本人の優秀さの秘密があったのだと思います。ですからもう一度復活させなければなりません。そうすれば多くの優秀な人材が世に出てくることでしょう。
誰も正義の前には敵わない
力が支配する世界でも正義の前には誰も敵いません。正義は絶対の権威が裏付けるものであり、日本には伝統的に絶対の権威があり正義もあります。しかし中国や朝鮮にはそれがありません。力は正義にはなり得ないのです。だから中国や朝鮮はじめ、世界中のどの国も日本には敵わないのです。日本人は絶対の権威と正義を胸に抱き、自信を持ちましょう。
目指すべきは公益資本主義社会
渋沢栄一は「資本主義」ではなく「合本主義」と呼びました。合本主義とは、道徳とビジネス、公益と私益のバランスを量り、そのために道理を通すことが重要であり、社会貢献なくして利益追求なしであると説きました。つまり道理と事実と利益とは必ず一致するものであるということです。日本が目指すべきはアメリカ型「私益資本主義社会」ではなく「公益資本主義社会」であるべきだと思います。
日本の伝統社会
未だに勘違いしている人が多いのですが、日本の士農工商は階級制度ではなく職業制度でした。金を握る商人には権限を握らせず、権限を握る武士には金を握らせないためです。また天皇には権威は有っても実権はなく、幕府には実権は有っても権威はありませんでした。実に合理的でしょう。それが日本の伝統社会であり文化なのです。
臣民政治
民主政治を大衆政治と言い代えたらいかに危ういものであるかが分かります。質が落ちたらたちまち衆愚政治に陥ってしまうからです。単に大衆に任せていては必ず衆愚政治に陥ります。だから臣民政治が良いのです。臣民になるには、また臣民であり続けるには厳しく資格を問われます。だから臣民政治は堕落しないのです。あの明治の天才井上毅が草案を作った明治憲法では、条文中に人民や国民の文字は一切使われず、すべて臣民で統一されています。ところが現行憲法には臣民という言葉はどこにも使われていないのです。
臣民とは
臣民とは出自に関係なく、己が日本国の一部であると意識し、一個人として自立し、法に従い、社会的責任をとり、競争に勝ち抜く努力をし、絶対服従ではなく、正義に反していれば拒絶する者のことです。私は節度を守って暮らしてきた地方の旧家の人々こそ本当の臣民だと思います。ですから旧家の人々はもっと自分の存在価値を自覚し、世間に対してアピールすべきだと思います。
臣民の国
明治憲法には条文中に「人民」や「国民」の文字はなく、すべて「臣民」で統一されています。天皇のことを単に君主と称することに抵抗を感じるのと同じく、自分自身を単に「人民」「国民」と称することに抵抗を感じるから「臣民」となっているのです。臣民なるものは実に日本にだけ存在するのです。ですから日本を「臣民の国」に戻さなければなりません。戦後、主権が天皇から国民に移ったと言いますが、それは国民が望んだものではなく、日本に合わないものです。日本の主権者は昔から「君民一体」なのであり、「君民共治」なのです。ですから国民に臣民意識を高めるため「臣民勅語」を作り広める必要があると思います。明治の天才井上毅の教育勅語に倣ったものにすると良いでしょう。
民主主義と臣民政治
民主主義が機能するのは、すべての重要な利害関係者が国に対する忠誠のみならず、現に存在する社会の構造的原理に対する忠誠においても、事実上一致している場合だけです。すなわち臣民政治においてのみ機能するのです。また完全な多数決原理も民族的に単一な団体の中でのみ意味を持つのです。
2.26事件の青年将校たち
昭和年間に起きた2.26事件を起こした青年将校たちは、国粋主義者であり右翼だったとされていますが、実は共産主義者であり偽装右翼でした。彼らの思想は北一輝が提唱していた国家社会主義です。北一輝は随所に天皇を持ち出して国粋主義を偽装していましたが、私有財産制の否定や国家による市場介入の正当化など、その本質は共産主義でした。
マーガレット・ゴッドリーブの言葉
CIAでLSDの実験をして多くの犠牲者を生んだシドニー・ゴットリーブの妻マーガレット・ゴッドリーブは、子供たちには信仰と伝統を教え、全ての人間が潜在意識でどのように繋がっているか、その向こうには何があるかを理解させる。また古い伝統と繋がっていることや、自分が大きな共同体に属していると感じること、家族・地域・学校・町・教会に属していることを理解させる必要がある。素晴らしい音楽・本・古い民話に出会い、民族衣装について知り、祖先がどのように生きたか、動いたか、話したかを知ってもらいたい、と言っていました。これぞ伝統的価値観を重んずる旧家の人々が一般の人々に伝えたいことと同じなのではないでしょうか?
戦後教育の二つの致命的欠陥
在野の天才と呼ばれた小室直樹は、日本の戦後教育には二つの致命的な欠陥があると指摘しました。
- 真のエリート意識、ノブレス・オブリージュ(優者の責任)を失ったこと。
- 単なる受験中心の教育システムに成り下がったこと。
そして日本を再興させる次世代の指導者は、戦後教育を拒否した登校拒否児の中から現れると予言しました。その根拠は以下の3つです。
- 立志コンプレックス
- 行動的禁欲
- 最良の甘え
立志コンプレックスとは前向きなコンプレックスのことです。源義経がとても強かったのは、子供時代に鞍馬で源氏の嫡流であることを教えられ、平家打倒を使命と思い込み努力したからです。吉田松陰も子供時代に藩主の前での講義を絶賛され、己の才能を確信したからです。現在の教育のように否定的な叱責ばかりでは立志コンプレックスは生まれません。
行動的禁欲とは一つのことだけに全身全霊を傾けて取り組むことです。その代わり他のことは一切しません。その精神が資本主義の精神に繋がったのです。
最良の甘えとはどれだけ厳しく教育されても、最高に愛されていることを感じさせることです。するとそこに最良の甘えが生まれてきます。それは教育者と同一化してしまうことです。
崎門の学者たち
日本に近代化の精神をもたらすため絶対不可欠な「絶対者」を作り上げたのは、山崎闇斎(あんさい)一門の崎門(きもん)の学者及び山鹿素行たちだったと小室直樹は書いています。彼らは朱子学を換骨奪胎して天皇絶対主義を打ち立てました。支那文明を超克した思想、すなわち朱子学の革命は容認されるべきか否かという未解決問題を思想的に解決したと書いています。
朱子学では革命が起きる度に誰が正統なのかをどうやって判断するのかが未解決でしたが、日本では幕府が実権を奪っても、絶対者である天皇が一貫して国を治めてきたという歴史に着目して、革命などは決して認めないことが正しいと結論付けたのです。天皇絶対主義はカルヴィニズムに似ています。神は絶対であり、天皇は絶対の存在です。またユダヤ教やキリスト教には預言者が現れて権力を外から批判しますが、儒教には預言者がいません。しかし崎門の学では預言者に大変近い性質を持った「義士」「烈士」がその役割を担ったと説明します。ではなぜ天皇を絶対者とすることが出来たのでしょうか? それはイエスの復活と同じです。イエスは処刑後に復活したとすることで神になりました。天皇も承久の乱で死んだ後、崎門の学により「現人神」として復活しました。ここに天皇教が誕生したのです。
ところで大嘗祭は天皇家の最重要祭祀。核心の神事が行われる部屋には神坐に寝床が敷かれています。その神の名を誰も知りません。その部屋では天皇が一人神饌を食べた後寝床に臥し、祈りを唱えてから立ち上がって部屋の外へ出てゆきます。これは明らかにイエスの復活を儀式化しています。
