「逆説の日本史17」井沢元彦 3
■朱子学の政治への悪影響
- 祖法を絶対視するため新しい事態にフレキシブルに対応して国益を図ることが出来ない。
- 歴史を自分に都合の良いあるべき姿に捏造して実際にあったことを認めず、また目の前の現実 を素直に見据えないで空理空論に走る。
- 外国人を夷(えびす/野蛮人)と決め付け、その文化を劣悪なものとしてしまう。
老中水野忠邦の行った天保の改革は失敗であった。しかし薩摩・長州・肥前の三藩だけは独力で行財政改革に成功していた。特に薩摩は77万石の所領に対して500万両の借金があったが、見事に立て直した。借金の原因は主に二つあった。一つ目は幕府の命令による普請工事である。他藩の木曾・長良・揖斐川の治水工事を命じられ(宝暦の治水)、幕府の酷い嫌がらせなどもあって難渋したが(病死33名、自殺者52名)約1年かけて完了させた。しかし藩の借金は膨らみ総奉行(責任者)であった平田靱負(ゆきえ)は自刃した。二つ目は第8代藩主重豪(しげひで)の浪費であった。実は薩摩藩士は基本的に郷士であり、半農半士として領内に点在していた。幕府との一戦を想定して所領を防衛するためである。そのため藩士は質実剛健、悪く言えば粗野にして無学の徒であったが、重豪はそれが気に入らず、蘭学を学び科学実験なども多額の費用をかけて行った。それは曽孫の名君斉彬に受け継がれる。また長女が贅沢好きの徳川将軍家斉(いえなり)の御台所となったため、婿への対抗意識から重豪の浪費癖に拍車がかかった。これらのことで藩財政を破綻させてしまったのである。
重豪は藩財政建て直しのために経営コンサルタントとして平田篤胤の弟子だった佐藤信淵(のぶひろ)を雇った。彼は砂糖の専売制移行や琉球貿易の活発化を行い、これが功を奏して幕末の頃にはむしろ富裕な藩となっていた。
ペリーの来航が幕府はじめ日本中を恐怖に陥れたのは、蒸気船に理由がある。それまでの帆船では青銅製の小さな大砲しか積めず、艦砲射撃を行ってもほぼ陸地には届かなかったが、蒸気船に積んだ強力で大きい鉄製の大砲からは陸地深く届いたからである。このことで日本は海に囲まれた世界一安全な国から、周囲のどこからでも艦砲射撃できてしまう世界一危険な国になってしまったのだ。
初代総領事ハリスは回想録で、「日本人はよく肥え、身なりも良く、幸福そうである。貧富の差もないようでこれが人民の本当の幸福というものだろう。日本を開国して外国の影響を受けさせることが本当に良いのかどうか疑わしい。」また「日本人は正直で勤勉、身分や貧富に関わり無く質素で華美に走らない。日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも優秀であることを繰り返し言う」と述べている。
開国したなら日本人は外国人に日本の価値観を積極的に教えるべきだ。外国人が帰化したいと言うなら日本の伝統文化を積極的に守ることを条件にすれば良いのだ。
外国の都市に比べて日本の都市は公園面積が少ないと言われているが、幕末の日本に来た外国人は日本の都市ほど森が多く市民の憩いの場所になっている国はないと言っている。それは鎮守の森があるからである。