ルーズベルトに与うる書
市丸利之助(いちまるりのすけ)は硫黄島の戦いで散華された海軍少将(没後中将)。「ルーズベルトに与うる書」を残したことで有名。死後「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」として米国の各大手新聞に全文が紹介された。また戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも紹介された。そして全米で大絶賛されている。この手紙は今もアナポリス海軍兵学校博物館に展示されている。
日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君にこの手紙を送ります。私は今、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。
日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清・日露・第一次世界大戦・満州事変・支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。これについてあなたがたは日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。けれどそれは思いもかけない的外れなものと言わざるをえません。
あなたは真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるためこのような戦争を始めるところまで追い詰められた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)・重暉(明智)・積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。 このことはかつて、
四方の海
皆はらからと 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ
という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。
わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。私たち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。私たちは今、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。私たちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。
あなた方のすることは、白人、特にアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもってその野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。そのためにあなた方は奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い無力にしようとしてきました。近世になって日本があなた方の野望に抵抗して有色人種、ことに東洋民族をしてあなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。それはあなたがたの神の意向に叶うものなのですか?
大東亜戦争によっていわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が恒久的平和を招くことができる。それは決して遠い未来のことではないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなた方は若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。あなたはどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。むしろ世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。日本天皇の神意はその外にはない。たったそれだけのことをあなたに理解する雅量を示してもらいたいと、私たちは希望しているにすぎないのです。
翻って欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争がどれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次大戦終結に際してその開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。あなた方が善戦してヒトラーを倒したとしても、その後どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。あなた方はきっと得意になっていることでしょう。けれどあなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。願わくば私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
市丸海軍少将
韓国「奴隷のいた国いない国」凶暴なる依存心と便乗侵略
韓国には奴隷のいたことが日本と決定的に違う点だ。李氏朝鮮時代には両班・中人・常人(小作人)・奴婢(奴隷)となっていた。常人にも人権はなかった。「醜い韓国人」には両班による常人や奴婢に対する壮絶なイジメが書いてある。人口比は両班・中人が60%、常人・奴婢が40%である。
海外に移住している韓国人の殆どが出身地をソウルと答えるが、実際は全羅道辺りだ。それは全羅道が国を捨てたくなるほど韓国で差別され出世もできないからだ。
朝鮮は言葉が貧しい。中華の真似事で導入した漢語を大事にし過ぎて独自の言語を失ってしまった。これは世界的にも珍しいことだ。名前も支那風で千年ほど前に創氏改名していたのである。言葉の貧しさの例として泣き方の表現がある。日本語であれば「わーん」とか「えーん」「めそめそ」など一杯あるが、朝鮮では「哀号(あいごう)」と漢字で泣く事しか知らない。しかし哀号は「泣き叫ぶこと、または泣き声」という名詞であり、「泣き声、泣き声」と言って泣くことは実におかしい。語彙が絶対的に不足しているのだ。また「ありがとう」も「感謝(カムサハム)」と言う。要するに漢語の言い回しである。15世紀に世宗が日本の仮名を真似てハングルを作ったが普及しなかった。漢語を権威の象徴としていた両班が抵抗したからだ。そのため国民の識字率が極端に低かったので、日本統治時代に朝鮮総督府が普及させた。そもそも漢語自体も語彙が乏しく近代社会の概念を表す「民主主義」「共和主義」「社会」「株式会社」などは日本語をそのまま輸入した。韓国人がかっとなりやすいのは語彙が不足しているせいで意思が思うように伝わらないことが原因だと言う言語学者もいる。
日本は朝鮮統治をアメリカのキューバ統治に倣うべきだった。つまり外交権を与えないのである。それを甘い統治をしたがために日清・日露戦争で13万人もの兵士を失った。外交に同情や憐憫は無用なのだ。
ベトナム戦争で韓国軍兵士が何をしたかを2000年4月にニューズウイーク紙がレポートしている。1965~73年の間に理由無き無差別殺戮を行っている。ベトナム一般住民を生きたまま井戸や防空壕に押し込め手榴弾を投げ込んで殺したり、女性を残忍なやり方で強姦してから殺した。
「ヨーコ物語(原題:So Far From The Bamboo Grove)」では、終戦時の朝鮮で多くの日本人が朝鮮人に襲われ強姦・虐殺されたことが書かれている。この本はアメリカ全州の中学校で副読本として採用されていたが2006年に在米韓国人が歴史の歪曲だと騒ぎ、73才の著者が記者会見に引きずり出され謝罪を求められた。その後アメリカ教育委員会にも圧力が及び副読本から外された。しかしこの本に書かれていたことは紛れもない真実である。朝鮮半島から博多に引き揚げてきた女性の内、強姦の被害に会った47人の例では朝鮮人によるもの28人、ソ連人によるもの8人、支那人によるもの6人、アメリカ人によるもの3人、台湾人・比島人1人となっており、朝鮮人によるものが過半を占める。
南北朝鮮の統一は朝鮮人の問題であり、日本人は関わってはいけない。北朝鮮も韓国も共にT・ルーズベルトの言葉を借りれば「国家の体を成していない」国であり、歴史的にも常に周囲の大国に頼る事大主義で生きてきた。関わればろくなことがない。
大東亜戦争を世界はいかに評価しているか
■イギリス歴史学者アーノルド・J・トインビー
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙オブザーバー)
■アメリカコロラド大学歴史学部教授ジョイス・C・レブラ
「日本の敗戦、それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地支配の復活も許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(東南アジアの解放と日本の遺産)
■アメリカ政治学博士ジョージ・S・カナへレ
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」(日本軍政とインドネシア独立)
■タイ元首相ククリット・プラモード
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この二つの日を忘れてはならない。」
■マレーシア元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
■マレーシア元外務大臣ガザリー・シャフィー
「日本はどんな悪い事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」
■マレーシア歴史学者ザイナル・アビディーン
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな“触媒”の役割を果たした。」
■インドネシア元首相モハメッド・ナチール
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
■インドネシア元第3副首相アラムシャ
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」
■インドネシア元復員軍人省長官サンパス
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
■インドネシア元情報相ブン・トモ
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」(昭和32年の来日の際の発言)
■インド大統領ラダ・クリシュナン
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭和44年/日本経済新聞)
■インド元インド国民軍大佐ハビブル ・ラーマン
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは日本が育んだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
■インドインド弁護士会会長グラバイ・デサイ
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべ共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
■スリランカ大統領J・R・ジャヤワルダナ
「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力且つ自由であってアジア諸民族は日本を守護者且つ友邦として仰ぎ見た。当時、アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者がいたのである。」(1951年サンフランシスコ対日講和会議演説)
■ビルマ元首相バー・モウ
「歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまた解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本の為に惜しむのである。」
■シンガポール首相ゴー・チョクトン
「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された。」(諸君!/平成5年7月号)
ルーズベルト秘録
(産経新聞取材班)
米国においてF・ルーズベルトほど評価の分かれる大統領はいない。
ヤルタにおける米・英・ソの密約が戦後北東アジアで起きた災厄の原因となった。中国内戦激化、朝鮮分割、ソ連による日本北方領土占領。千島列島は1875年樺太・千島交換条約で日本領になり、南樺太は1905年日露戦争の結果日本領となっていた。ルーズベルトは対日戦で手を焼いていたため、これらの領土を対日参戦の見返りとしてソ連に与える密約を交わした。そして3ヶ月分の武器弾薬をソ連に提供した。
1951年日本はサンフランシスコ講和条約で南樺太と千島列島を放棄したが、北方四島は千島列島には含まれないので日本領だとしている。
戦後ドイツの工業力を破壊し農業国にしてしまうというモーゲンソー案が、ルーズベルトとチャーチルの承認の基に採択された。しかしハルもスティムソンもそれがドイツ人の復讐心を起こさせ新たな戦争の引き金になると反対した。
日本への原爆投下はソ連の参戦前に日本を無条件降伏させる目的で使用された。当初ルーズベルトは日本の降伏を早めるためソ連の参戦を促してきたが、共産主義の脅威が問題化してきたため急遽方針変更された。
当初原爆投下地点は京都・広島・新潟だったが、日本をよく知るスティムソンが文化都市の京都を破壊したら米国は決して許されることはないだろう、と警告したため外された。
1945年7月のポツダム会談が近付く頃、日本外務省はソ連に停戦の仲介を頼むため近衛文麿を派遣することにしたが、モスクワの佐藤大使は、対日参戦の可能性があるソ連に仲介を依頼するという滑稽なほど現実離れした日本の外交感覚を批判している。
ニューディール(新秩序)構想の下に1933年設立されたNRA(国家復興庁)はナチズムに近い思想を持っていた。ナチスの党大会並みに壮大な「青鷲パレード」がニューヨークで行われ、国民の意識改革を図ろうとしていた。ルーズベルトはアメリカ伝統の自由放任経済は破綻しており、統制経済がそれを救うと考えていた。しかし「ニューディールはファシスト運動」とか「ニューディールは共産主義運動に他ならない」と評する者が大勢いた。そしてニューディール政策は1年もしないうちに行き詰まりを見せ始めた。そこで反ニューディール勢力がクーデターに動いた。その中心は「アメリカ自由同盟」であった。しかし計画は頓挫し、下院非米特別委員会の追及も証拠不十分として取り止めとなった。
アメリカ自由同盟の会員でルーズベルトのライバルであった民主党議員アル・スミスは、ニューディールはマルクスとレーニンのことであり共産主義政策であると言った。しかしこれが国民に金持ちによるニューディール潰しと捉えられ、ルーズベルト再選のきっかけとなってしまった。
ニューディールは二期に大別でき、一期は大不況克服の手段として計画経済導入を図り、二期は大企業を締め付け労働者階級を救う社会の公正を目的とした。いずれもルーズベルトが共産主義を強く意識していたことを窺わせる。
ルーズベルトはナチスを恐れており、ドイツを叩きたいと考えていたが、リンドバーグはドイツがソ連と独裁国家同士潰しあえば良いとして、アメリカの不参戦を熱心に説きルーズベルトと対立した。しかしそのせいでリンドバーグはナチス信奉者で国家の裏切者と中傷されることになった。
ルーズベルトは国内法で禁止されていたにも拘わらず、フランスへ戦闘機や爆撃機をカナダを経由させる方法で提供しようとした。しかしテスト飛行で事故が起き、その機にフランス人が乗っていたことがスキャンダルになり、計画は挫折した。
リンドバーグの妻であるアンは「未来への波-信念の告白」の中で、ルーズベルトが英仏と独の争いを「民主主義と全体主義」「善と悪」の抗争としていることに対し疑問を投げている。「民主主義の世界が危機にあり、それを救うために我々は戦わなければならないと言う。善が悪と戦っており我々はその善に属するそうだ。だが果たしてそうなのだろうか。民主主義はそれほど道徳的に優れているのだろうか。キリストは「汝貧しき者に与えよ」と諭した。持てる国(英仏)が持たざる国(独)にあの時(第一次大戦)与えていたなら、ナチズムもこの戦争もなかっただろう」
40ページ足らずのこの本は大ベストセラーとなった。当時米国民の8割は参戦する気などなかった。
リンドバーグはアイオワ州デモインで有名なスピーチを行った。「欧州で戦争が始まって以来、アメリカを参戦させようと扇動する三つのグループがある。英国、ユダヤ人、政府だ。つい先日まで戦争反対を叫んでいた共産主義者たちも、ドイツとソ連が戦争を始めた途端、介入を主張し始めた。英国が介入を求めるのは米国が参戦しなければ勝てないからだし、ユダヤ人の場合ドイツでの苦難を考えれば理解できる。だが最大の扇動者は実はルーズベルトなのだ」と。またユダヤ人について「映画・新聞・ラジオ・政府に大きな影響力があり、米国にとって危険」と述べた。これがドイツ同様ユダヤ人差別をしていると大問題になり、あらゆるマスコミを敵に回してしまった。しかしリンドバーグは「本当のことだ」と取り合わなかった。
その後リンドバーグはあらゆることでルーズベルトに妨害され、日記に「さまざまな意見を抱擁するのが民主主義のはずだが、この国の大統領は自分の意見にそぐわない者は排除するようだ」と怒りを込めて書いている。1944年には民間パイロットとして太平洋戦線に参加するが、6月のニューギニアでの米軍兵士の残酷な戦いぶりを批判している。「米兵は死者への尊厳を一切持たなくなったようだ。敵兵の勇気についても考慮しない。遺体の歯を足で蹴って金歯を取り出し土産にする。武器も食料も無く降伏しようとする日本兵を容赦なく射殺する。我々は果たして本当に文明国家を代表しているのだろうか」と。また捕虜を定期的に飛行機から突き落としておきながら、日本兵が玉砕したと虚偽の報告をしたオーストラリア兵達の集団行為を批判した。そしてこうした残虐な行為は日本人を「黄色い猿」と呼ぶ人種差別意識がもたらしたものだろうと言っている。また次のようにも言っている。「アメリカ人はドイツ人のユダヤ人に対する扱いを非難するが、アメリカ人も日本人に対して同じような扱いをしでかしたのだ」
ルーズベルトが尊敬した理想家肌の大統領ウッドロー・ウィルソンは、第一次大戦後に14ヶ条の要求をした進歩的政治家として知られたが、こと黒人問題に関しては「地位向上させるべきではない」と発言するなど人種隔離政策の強い支持者だった。ルーズベルトはそのウィルソン政権の海軍次官補として海軍の人種隔離規則の明文化に尽力している。
ルーズベルトは1939年に米連邦最高裁が盗聴を違法としたにもかかわらず、「スパイ活動あるいは破壊活動防止」を理由に盗聴を続けさせた。その対象は敵性国民に限らず政敵に対しても行われた。
戦前戦後にかけて米政府内に200名にも上るソ連のスパイがいた。財務省次官ハリー・ホワイト、大統領補佐官ロークリン・カリーなどの高級官僚も含まれる。
■VENONA KGB電文解読資料
コミンテルンはルーズベルトを支持していたため、米共産党からは大物の大統領候補を出させず、ルーズベルトを当選させて二期目を勤めさせようとしていた。ルーズベルトは妻のエレノアに「戦後は社会主義的な世界になる」と予測し、スターリンが「米国とソ連がいずれ立場を同じにする」と話したことに希望さえ抱いたと言う。しかしニューディール政策と共産主義は相容れなかった。共産主義の本質は革命であり憎悪を基礎とするが、ニューディールは改革であり希望に根ざしていた。そしてニューディーラーは共産主義の危険性を見抜けなかった。
戦前戦中を通じて日本は米ソにとってアジア方面最大の脅威であった。H・フーバー大統領時代に満州事変を起こした日本に対して、九ヶ国条約違反を盾に「侵略による領土の変更を認めない」というスティムソン・ドクトリンを出したが、ルーズベルトはこの政策を引き継ぎ、日米開戦止む無しとした。そして周囲の忠告を遮って次のように言った。「私の先祖は中国貿易に従事したことがある。だからいつも中国人には親しみがある。そんな私が日本をやっつけようというスティムソンに同意しないわけがないではないか」。ルーズベルトの母方の家系であるデラノ家は香港を中心にアヘン貿易で巨万の富を築いたのである。
H・フーバーは外交と国際世論による説得を望んだが、スティムソンは経済制裁で日本軍の侵略を阻止できると信じていた。フーバーはそれが戦争行為だとして明確に反対したがスティムソンは納得しなかった。
ルーズベルトはハーバード大学時代に居合わせた日本の留学生松方乙彦から聞かされた日本の「100年計画」を現実のものだと信じ、日本に対して警戒心を高めたとされているが、100年計画などというものが本当にあったのか疑わしい。ハーバード時代といえば松方は22才であり、いくら日本の有力武家の出身と言えども国家的機密を知るはずがない。また、ルーズベルトには作り話をしたり話に尾ひれを付ける悪い癖があると言われていた。実は当時「田中メモリアル」というまことしやかな日本の世界支配計画なるものが出回っており、100年計画もこれから引用されたものと考えられる。因みにこのメモリアルは戦後偽造であると断定された。
ルーズベルトは中国をキリスト教化して民主国家の巨大市場にしようと企んでいた。
ルーズベルトは「中国の赤い星」を書いたエドガー・スノーとの会見で次のように語っている。「今次の戦争で植民地主義は消滅するだろう。その先駆的役割を果たした日本は必要悪だったと言える。しかしそれがわからなかった欧州諸国は恥じるべきだ。それにしても私は日本人に偏見があるようだ。祖父は中国貿易に従事し中国人が好きになったが、日本人は大嫌いだったからだ」
戦後中国に裏切られた米国は悪の帝国と呼んでいた日本と逆に友人になったが、日本脅威論は現代でも息付いており、経済摩擦が起きた時にもジャパンバッシングの狼煙を上げたのはチャイナハンズの一人セオドア・ホワイトだった。
ルーズベルトは宣戦布告もせぬまま中国にB-17大型長距離爆撃機500機を提供し、中国軍機としてアリューシャン列島から日本を空爆する案をモーゲンソーに提案していた。また中国東部や南部から日本を空爆するため米兵パイロットを形の上だけ一旦退役させ中国軍に雇用させるという方法を提案した。しかし軍から爆撃機はヨーロッパ支援にまわす必要があると反対され、戦闘機100機を派遣するだけとなった(フライング・タイガース)。
第一次大戦におけるドイツ潜水艦による英客船ルシタニア号への魚雷攻撃はこっそり弾薬を運送していたためであり、第二次大戦の米駆逐艦グリーア号への魚雷攻撃は英哨戒機と共にドイツ潜水艦と戦闘中の出来事であった。しかしルーズベルトはグリーア号が郵便輸送中に突然攻撃を受けたように発表した。このようにルーズベルトは対独・対日参戦の口実作りのために国民を欺き続けた。
ドイツの科学者オットー・ハーンが世界最初の核分裂実験に成功した報を受けたユダヤ人科学者達(レオ・シラード、アインシュタイン、フェルミ、テラー等)は、ドイツに先んじて原爆開発をするようルーズベルトに働きかけた。このように当初はユダヤ人排斥に対するドイツへの復讐心から開発されたものだが、それがドイツの敗戦で日本に投下されることになった時、ユダヤ人開発者達は道徳面から投下しないようトルーマンに訴えている。日露戦争でユダヤ人ヤコブ・シフが日本を支援したのはロシアにおけるポグロムに対する復讐のためであったと伝えられているが、皮肉なことに原爆は日本に投下された。
コーデル・ハル国務長官はルーズベルトの指示で「暫定協定案」を作成しており、それを日本に提出する手筈になっていた。しかし提出日の前日にルーズベルトの命令によって内容は最後通牒にも等しい厳しい内容に変えられ、ハル・ノートとして提出することになった。その内容に対してハルは「プライドが高く力もある民族に最後通牒を与えてはいけない。日本が攻撃してくるのは当然だ」と憤っていた。
ワシントンの日本大使館に勤務する一等書記官寺崎英成の動向を探った「寺崎ファイル」240ページの内16ページは公開されていない。日本がアメリカに宣戦布告電文を送った時、大使館職員は寺崎のブラジルへの異動のために送別会を開いており、そのせいで宣戦布告文をアメリカに渡すのが遅れてしまい、真珠湾攻撃を騙し討ちだと非難されるハメになったと言われるが、未公開の16ページの中にその汚名をそそぐ記述がある可能性が高い。その証拠にアメリカは未だに公開を認めていない。
真珠湾での米国人死傷者数3,370人。真珠湾攻撃を騙し打ちだとプロパガンダによって日本を一方的に非難したルーズベルト政権であったが、当初議会は日本軍の攻撃を未然に察知できず甚大な被害を蒙ってしまったふがいない軍部の落ち度を糾弾していた。
日本の真珠湾攻撃によってアメリカは孤立主義を維持できなくなり、それ以後果てしなく海外の戦争に積極的に関わってゆくのである。
チャールズ・リンドバーグは「何のための戦争なのだ。この戦争によって何が得られるのか未だにはっきりしない。民主主義と自由を世界に広げるというが、我々には言葉だけのように聞こえる。実際米国でさえ真の民主主義も自由も達成できていないではないか。戦争に深入りすればするほど実は民主主義と自由から遠ざかることになる」と言っている。
アメリカはドイツに対してユダヤ人という理由だけで拘束したことを非人道的な行為として強く非難しておきながら、日系米国人を日本出身というだけで強制収容所に閉じ込めたのである。しかもその扱いも酷く、ロジャー・ダニエルズ編纂「日系米人、その強制移住と補償問題」によると、病人であったがために他の日系人と別れて先にトラックで収容所に届けられた二人が、担架で到着するや警備員のクラレンス・バールソン上等兵に有無を言わさず射殺されてしまった。それを所長も処分しなかった。後から到着した家族が二人の消息を尋ねたところ、所長は「逃げようとしたので射殺した」と説明しただけであった。こんな死のエピソードは数えれば枚挙に暇がない。しかしより深い問題としては米西海岸で黄禍論の対象となるほど存在感のあった日系人社会が、戦後復活しなかったことである。収容所から解放された日系人は砂に撒かれた水のように全米に消えてしまった。これはドイツ系ユダヤ人が戦前のような存在感をなくしてしまったのと似ている。
ルーズベルトに日系人の無差別強制収容を命じられた司法長官フランシス・ビドルは、大統領令が発せられる前に、この措置は日系人の農地を手に入れようという謀略が絡んでおり、日系人には国家転覆のような危険な兆候はみられないとアドバイスしているが、ルーズベルトは側近の反対を無視してまで強制収容に踏み切った。
日系人の解放が迫った1944年暮れには、国務長官代行エドワード・ステティニアスに日系人をできるだけ各地に拡散させる必要があるという覚書を渡していた。これが米西海岸において日系人社会が復活できなかった理由だろう。
父がドイツ系ユダヤ人でドイツを生涯憎み続けた財務長官モーゲンソーは、真珠湾攻撃後に日系人商店のアルコール販売ライセンスを全て取り上げるなど徹底した差別政策を取ったが、ルーズベルトが日系人全員を強制収容所送りにすることを主張した時、意外にも強く反発している。「日本人を強制収容所に放り込みたいそうだが私はそんなことに加担したくない。15万人もの日本人を総ざらいし、どんな人間なのか考慮せずに鉄条網の向こうに閉じ込めるとは呆れ果てる。これではあのドイツ人達と同じではないか。我が国を害する輩を捕まえるのは賛成だが、無差別の拘束はダメだ」
しかしルーズベルトは日本人の頭蓋骨は劣勢血統のため十分に発達しておらず邪悪な行為に至っていると言ってのけ、アジア人はインド人や欧州人と混血させ人種融合を図る必要があると言いながら、日本人だけは日本列島に閉じ込めておけと言った。またドイツ人に対しては、ドイツ人を去勢するかそれに近い方法を考え、二度と過去のような行いができないようにすべきだと言った。
日本軍は真珠湾攻撃の後フィリピンの米軍基地を攻撃し、駐機していた多くのB17や戦闘機を破壊した。米軍兵士達は日本軍の猛攻の前に前線を放棄し逃亡してしまった。極東軍司令官だったマッカーサーは責任を問われ、ルーズベルトもそんな彼を侮蔑していた。この屈辱経験がマッカーサーをフィリピンに戻ってきた時に感激のあまり泣かせたのである。
真珠湾攻撃の後、ハワイでルーズベルトとニミッツ、マッカーサーは会っている。しかしこの頃マッカーサーは次期大統領選に立候補しようと共和党と接触していた。それを察知したルーズベルトは日本攻略に対してニミッツの提案する飛び石作戦より、マッカーサーの提案するフィリピン経由作戦を採用した。マッカーサーのこだわる作戦を採用することで彼のメンツを守ってやり、また彼を現役の将軍のままにしておくことで立候補を阻止しようとしたのだ。この件では二人の間にどうやら裏取引があったらしい。
マニラに戻ったマッカーサーは感激の余り泣き出してしまった。フィリピンを追われた屈辱が3年間彼を苦しめていたのだ。そして山下将軍の裁判ではたった35日間で審議を終え、4千ページにも及ぶ陳述書と423点もの証拠物件が提示されたにもかかわらず、判決は46時間後に下された。判決は明らかに意図的であった。山下将軍の弁護士フランク・リールは不当判決に怒り米最高裁に判断を仰いだが、10人の判事は「裁判手続きは適正を欠いたもの」という点では一致しながら、「軍事法廷に介入する権限がない」との判断を出した。しかしあまりにも露骨な復讐心に判事らは、「法的手続きの体裁をとって敵に向けられた復讐は、残虐な行為よりはるかに大きな禍根を残すだろう」と付帯文を添えた。
フィリピンを追われたことで司令官として屈辱を感じていたマッカーサーは、日本の占領軍司令官になれるとは思っていなかった。彼より太平洋海戦で実績を上げていたニミッツが選ばれるだろうと予想していたが、意外にもルーズベルトによってGHQ司令官に指名された。大統領選が関係していると見られている。しかしルーズベルトの死後大統領となったトルーマンは、マッカーサーは軍歴を見ても失敗ばかりで決して優秀な英雄などではないと不満を漏らしていた。
