世界で最初に民主主義を実現した国
日本は世界で最初に民主主義を実現した国です。日本神話に主権在民の精神が謳われています。民が神の概念を生み、神が天皇を生み、天皇は民の象徴となったのです。即ち神≧天皇≧民です。そのため民の中から生まれた権力者は権力者どうし戦って殺し合うが、一般の民を殺傷することもなければ奴隷にすることもありません。もとより民は敵ではなく天皇の大御宝だからです。そして権力者は覇者となっても決して天皇にはなれません。これらのことは外国ではありえない驚くべきことです。
正統性でも頭抜けている日本の皇室
日本ではあまり知られていませんが、ヨーロッパでは貴族・王族を保有しているかいないかがその国の価値を決める一つの基準になっています。民主主義国となった現在でも、モナーク(君主)を持っているかいないかはナショナルバリューにおいては非常に大きいのです。あのフランスの最大のコンプレックスこそ貴族や王族がいないことなのです。どれほど巨万の富を築いても「歴史」を買うことは出来ません。「歴史」は価値であり、それによって育まれるものが「文化・伝統」です。希少性こそが最も価値を創造する要素であり、唯一無二には高い価値があるのです。現在世界に王室は27しかありません。その中で一番古い君主こそが日本の天皇であり、しかも日本はキングではなくエンペラーを持つ唯一の国なのです。さらに紀元前660年から続く「万世一系」でもあります。世界の覇権国家であるアメリカの大統領が外国君主を迎える際にホワイトタイで臨むのは、ローマ法王とイギリス女王、そして日本の天皇だけなのです。
それではなぜ貴族・王族を保有していることが重要なのでしょうか? それは庶民と貴族の発想が違うからです。貴族は庶民から搾取するだけといった左翼プロパガンダで汚染された評価がなされますが、貴族こそ本当に公共の利益を最優先した高所大所からの「高貴な発想」ができるのです。庶民のような狭小な視点で私益や短利を追いかける盗賊的発想をしないのです。
また王室の正統性でも日本の皇室は頭抜けています。世界第2位のデンマーク王室の歴史は1000年程度ですが、日本の皇室は2684年続いており、しかも万世一系のエンペラーです。また聖的存在としてもローマ法王以上の価値を持ちます。圧倒的な希少性とはこのことです。先の大戦で敗れてもなお天皇を尊崇する国民の頑張りで無条件降伏せずに国体が維持されたからでもあります。天皇は廃されることもなく、退位もしていないのです。もし天皇が廃されていたら単に極東に存在する平凡な国の一つに過ぎなくなっていたでしょう。因みに中国・韓国・北朝鮮はただの盗賊国家に過ぎません。もし中国が今後アメリカを凌駕するほどの経済大国になったとしても、高貴さという点では日本の足許にも及びません。まるで格が違います。真の中華の国とは実は日本のことなのです。その違いを日本人はよくよく肝に銘じておくことです。皇室の存在が日本の国際的ステータスを高め、信用を高め、それが大きな国益をもたらしているのです。中国人や朝鮮人がどれだけあがいても決して日本には敵いません。
アメリカは世界の覇者となり巨万の富を築きました。しかし覇者というものは力さえあれば誰でもなれるものであり、やがてどこかの国が取って代わるでしょう。その覇権争いはいつまでも繰り返されます。それは唯一無二の正統性がないからです。誰もが取って代わることなどとてもできないと思うほど、長い歴史と伝統に裏付けられた正統性を持つ唯一無二の存在、それが日本の天皇なのです。
天皇・ローマ法王・エリザベス女王だけが米大統領にホワイトタイで出迎えられのは、以下の理由からです。
- 世界的に権威のある王室である。
- 宗教の教祖である。
- 国家元首である。
共産党の目的は民主主義を破壊すること
コミンテルンは事あるごとに「民主主義を守れ」と叫びますが、初期から議会制民主主義を破壊することを目的に掲げています。だからアメリカやドイツのように日本も早く共産党の結党を禁止すべきです。コミンテルンの運動方針は革命のために社会を分断し、混乱させ、人々の不信感と憎悪を高め、戦争を引き起こし、国を疲弊させ、共産主義暴力革命を起こすというものです。
二つの日本
明治以降、二つの日本がありました。日本の歴史と伝統を蔑視するエリートの日本と、日本の良き伝統を引き継いでいる庶民の日本です。地方の旧家の人々は後者です。
二つの保守勢力
戦前の日本の保守勢力は二つに大別できます。「保守自由主義」と「右翼全体主義」です。戦前の右翼とは右翼全体主義者のことです。しかもコミンテルンにシンパシーを持つ「左翼全体主義者(=共産主義者)」や、実は真っ赤だった偽装右翼も多数紛れ込んでいました。彼らが大政翼賛会を作り、明治憲法を破壊し、議会制民主主義を破壊したのです。つまり右翼全体主義者たちの背後で暗躍したのが左翼全体主義者たちだったのです。東條はそんな警告を発する保守自由主義者たちを「反戦・反軍・反国家の不逞の徒」と呼んで、こともあろうに「マルキストたち」であるとして検挙したのです。さらに東條は優秀な保守自由主義の学生たちを、学徒出陣の際にわざわざ死地へ配置転換しました。