イデオロギー国歌は不安定
君主制が倒れると代わりに国を支えるものはイデオロギーです。しかしそれは時代の変遷と共に変わりゆくものであって、安定したものではありません。
宗教戦争は残虐になる
単なる利害の絡む戦争なら勝敗が決した時点で終わるのですが、宗教戦争はそれでは終わりません。敵である異教徒を改宗させるまで、あるいは殺し尽くすまで続けるせいで戦争が残虐になります。思想戦争もそれと同じで、共産主義革命戦争がそれです。
武士道精神の退廃
大東亜戦争後、戸籍から元士族の記載が完全に廃止されたことが日本社会に与えた影響は大きかったのではないかと思います。その時から本当に武士道精神が廃れ始めたのだと思います。士族は明治維新後、華族とされなかった旧武士階級に与えられた身分の呼称であり、平民と比べて何の特権もなかったのですが、戸籍には記載されていました。そのため士族としての矜持は保ち続けたはずです。しかし昭和22年の日本国憲法施行により他の身分と共に廃止されたため、士族の矜持を失ってしまったのです。
日本の伝統工芸
日本の伝統工芸も日本の伝統文化から生まれたものであり、それが世界で至上の価値があると評価されています。それは日本の伝統文化そのものが他国にはない独特で普遍的な価値を持つものだからです。そのことを外国人ほどよく判っているのは皮肉なものです。
国の評価
外国人は近代的な要素だけで国を評価するのではありません。その国が伝統的な文化を持ち続けているかどうかが大事な要素となるのです。
日本人にとって「私」は「私たち」である
日本人にとって「私」は実は「私たち」なのであって、私は私たちの中の一部にすぎないのです。だから「私たち」がいなくなれば「私」も存在できません。それを再認識できるのが祭りであり、皆が一体となって神に祈りを捧げ、「私」が「私たち」なのであることを確認するのです。
保守と右翼と左翼の違い
日本の保守主義の源流は本居宣長にあります。保守というのは現状を破壊せず徐々に改善してゆこうとする思想ですが、それに対して右翼は現状を破壊して昔に戻そうとし、左翼は現状を破壊して未踏の未来へ向かわせようとします。
庄屋とは
江戸時代、庄屋は村の首長で(関東では名主、東北では肝煎〔きもいり〕と言います)、概して武士より裕福で、広大な農地を保有し、広い屋敷に住んで、文書の作成に携わるため読み書き算盤のできる村を代表する知識人でした。その家系はもともと名門家系だったことが多く、戦国武将の有力な家臣が江戸時代に庄屋となったケースはかなり見られます。そのため支配階級の末端としての面と被支配階級の代表者としての面を併せ持つため、しばしば板挟みの苦悩を味わう場合もありました。
グローバリズムは資本主義が生んだ
グローバリズムは資本主義が生んだのです。軍産複合体もネオコンもディープステートも資本主義が生んだのです。しかし資本主義抜きでは社会は成り立ちません。だから国家が制御する必要があります。
資本主義を制御する
資本主義はやがてすべてを商品化しようとします。しかしカール・ポランニーという経済学者はこの世に商品化できないものが3つあると言います。土地・人間・通貨です。そのためこれらを商品化させないために国家が規制し制御しなければなりません。ところが現実は政府が資本主義より下にいます。それが大きな問題です。
Give & Take 論と平和憲法
Give & Take 論では最も成功するビジネスマンは誰なのかを論じています。そこでは少なくとも金を稼ぎたいと思っている者は稼げないそうです。Giver(与える者) 、Matcher(仲介者)、Taker(悪魔)の中で、MatcherやTakerはそれほど成功しないそうです。最も成功するのはGiverだそうです。しかし最も貧しくなるのもGiverだそうです。その違いは、最も成功するGiverは他者志向型であり、上手にマッチングさせた時とてもうれしいと感じ、その時の直感に基づいて圧倒的にGiveします。しかし最も貧しいGiverは自己犠牲型であり、自分を犠牲にしても他人にGiveしなければならないと観念的に思っており、視点が外部にあります。このタイプは失敗するそうです。
Giveするものを物と思ってはいけません。物と思うと与えることで自分の所有物が一つなくなると思ってしまいます。ですから物を通して実は生命力を与えているのだと思うことです。生命力は与えても与えてもいくらでも沸々と湧いてくるものであって、無くなりはしません。そして他人が喜ぶ姿を見れば生命力は一層高まるのですから、惜しむ必要はありません。
しかし本当のGiverは相手がTakerだった時だけ態度を変えます。Takerは悪魔だから優しくしたり可愛がってはいけません。そのためMatcherに変わります。そして悪魔にふさわしい厳しい対処をします。厳しく対応すべき相手には厳しく対応する必要があるのです。ですから現行の平和憲法の精神はおかしいのです。
共産主義社会の実験
力とマネーによる支配、それが人類の大昔からの社会でした。それを庶民が自治する社会へ変えようとして生まれた手法の一つが共産主義社会です。しかし、それは大失敗に終わりました。そんな理想の実現のためには庶民一人ひとりが明確な権利意識を持ち、また積極的に義務を果たそうという強い公共意識を持たなければなりません。ところが現実は権利ばかりを主張して義務を果たそうとしない庶民が後を断たず、結局自由競争の資本主義社会に敗れてしまったのです。
日本人は大御宝としての権利と義務の自覚を持て
日本社会の場合は伝統的に権力者と奴隷の関係ではなく、権力者の上に天皇が存在し、しかも民衆は天皇の大御宝(おおみたから)とされていたため、権力者は決して横暴を許されません。それはまるでピラミッドの三角形が縦横に繋がり、球体を構成しているようなもので、その中心に核として天皇が存在しています。そこに上下関係はなく、いうなれば究極の民主主義が実現していたわけです。しかし民衆に大御宝としての権利と義務の自覚がなければ、その社会は機能しなくなってしまいます。
アイヌは日本列島先住民ではない
ジオ・ヒストリアを著わした茂木誠氏によりますと、13世紀には樺太にいたアイヌが対岸の沿海州に度々侵入していたようです。そこで沿海州のギリヤーク人はアイヌの侵入に対抗するためモンゴルに援軍を求めました。それに応じてモンゴル軍が樺太へ侵攻した(北の元寇と呼ばれる)ため、追い出される形で樺太アイヌが北海道へ移住してきました。DNA調査によりアイヌが縄文人の遺伝子を受け継いでいることは判っていますが、アイヌ語は日本語とはまったく別系統の言語であるため、蝦夷とアイヌとは別民族です。ところが日本人がアイヌのことを「蝦夷(えぞ)」と呼んだため混乱が起き、誤解されました。明治時代に考古学や民俗学が導入されると、アイヌを縄文人の一種とする日本列島先住民説が流布されたため、その影響が今日まで続き、2019年には先住民族アイヌの誇りを尊重するためと称してアイヌ新法が制定されました。アイヌ文化の尊重は判りますが、歴史的事実に照らせばアイヌは先住民族ではなく鎌倉時代に蝦夷地に流入した渡来人です。北海道の先住民は縄文人の末裔である蝦夷であり、彼らから見ればアイヌも和人と同様侵入者です。
日本の憲法はガラパゴス憲法
アメリカの保守系作家でカソリック教徒のジェイソン・モーガン氏は、以下のように述べています。
日本の憲法はガラパゴス憲法です。施行されてから一行も一文字も改正されていない世界最古の憲法です。しかも日本国民が作ったものではなく、戦後GHQ内のリベラリストたちによってほんの数日間で書かれた実に偏向した内容の憲法です。当時の日本政府が独自の草案を作ったもののことごとくGHQに拒否され、むりやり押し付けられた国際法に違反したものなのです。そんな憲法を国の根幹としている国家は他にありません。実に恥ずべきことだと思います。
アメリカには二つの顔がある
アメリカには二つの顔があります。国家としてのアメリカとイデオロギーが支配するアメリカです。国家としてのアメリカは独立宣言に示されていますように「すべての人間は平等に造られている」とし、「不可侵、不可譲の自然権として、生命、自由、幸福の追求の権利を有している」としています。それが文字通りならば誠に素晴らしい理念ですが、根本的な問題を孕んでいます。その理念が適用されるのはあくまでイデオロギーを同じくする者たちだけに限られているからです。
マニフェスト・ディスティニーの欺瞞
アメリカの歴史は清教徒たちが到着してから始まったとされていますが、そのはるか以前から先住民であるアメリカインディアンは独自の文化を持って平和に暮らしていました。清教徒たちはアメリカに到着後飢えて全滅しかけたところをインディアンに助けられたにも関わらず、土地を次々と奪い取って支配地域を広げてゆきました。その過程で言葉に尽くしがたい残虐行為を働いたのです。それらは「マニフェスト・ディスティニー(明白な運命)」というまことに手前勝手な美名のもと行われました。清教徒たちを飢えから救ったインディアンの酋長が死ぬと、その息子を殺して首を20年間もプリマスの港に晒し、彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売りました。そういった残虐行為は何もかも「アメリカの西部開拓は神の意思による当然の運命である」とする「マニフェスト・ディスティニー」の美名のもとに行われたのです。
その後西部でゴールドラッシュが起き、強欲な白人たちは大挙して先住民の土地に侵入し、時の大統領アンドリュー・ジャクソンは先住民を荒れ果てた土地へ強制移住させました。その時老婆にさえ思い荷物を背負わせて歩いて移動させたのです。その結果数万人が死に、今でも「涙の旅路」と言い伝えられています。
建国の父とされるワシントンも奴隷解放で知られるリンカーンも先住民を迫害しました。ワシントンは「姿こそ違えどインディアンは狼同様の猛獣である」と言い、リンカーンも奴隷解放宣言を発布した前後にスー族の討伐命令を下しています。そもそもアメリカはスー族と条約を結び土地を譲渡させる代わりに多額の一時金と毎年年金や食料を提供すると約束していたにも関わらず、年金は支払われず提供される食糧は粗悪を極めるものでした。そのためスー族が決起するとリンカーンは軍に銘じて全滅させ、続いてナバホ族を襲った。捕われたナバホ族8500人は483km離れた強制収容所へ徒歩で移動させられました。ここでも数百人の老人子供の死者が出ました。
さらにアメリカ軍は無抵抗のシャイアン族とアラバホ族の村を襲い無差別虐殺を行いました。この虐殺の指揮を執ったのは元牧師のチヴィントン大佐でしたが、女子供も見境なく殺しました。40人ほどの女たちが窪みに入って弾丸を避けていましたが、6才の女の子に白旗を持たせて窪みから出したものの3歩も歩かない内に撃ち殺され、他の女たちも撃ち殺され、全員の頭皮が剥ぎ取られました。また女の腹が裂かれ胎児が取り出され傍に捨てられていました。この虐殺の原因は先住民の居留地で金が見つかったせいで、先住民が邪魔になったから白人たちは女子供まで無差別に殺したのです。
以後ずっとアメリカの戦争はアメリカを守るためではなく「マニフェスト・ディスティニー」という狂気のイデオロギーを膨張させるためのものだったのです。その行き着く先は世界征服です。
