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皇紀2684年(2024)11月

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日本の憲法はガラパゴス憲法

 アメリカの保守系作家でカソリック教徒のジェイソン・モーガン氏は、以下のように述べています。
 日本の憲法はガラパゴス憲法です。施行されてから一行も一文字も改正されていない世界最古の憲法です。しかも日本国民が作ったものではなく、戦後GHQ内のリベラリストたちによってほんの数日間で書かれた実に偏向した内容の憲法です。当時の日本政府が独自の草案を作ったもののことごとくGHQに拒否され、むりやり押し付けられた国際法に違反したものなのです。そんな憲法を国の根幹としている国家は他にありません。実に恥ずべきことだと思います。

アメリカには二つの顔がある

 アメリカには二つの顔があります。国家としてのアメリカとイデオロギーが支配するアメリカです。国家としてのアメリカは独立宣言に示されていますように「すべての人間は平等に造られている」とし、「不可侵、不可譲の自然権として、生命、自由、幸福の追求の権利を有している」としています。それが文字通りならば誠に素晴らしい理念ですが、根本的な問題を孕んでいます。その理念が適用されるのはあくまでイデオロギーを同じくする者たちだけに限られているからです。

マニフェスト・ディスティニーの欺瞞

 アメリカの歴史は清教徒たちが到着してから始まったとされていますが、そのはるか以前から先住民であるアメリカインディアンは独自の文化を持って平和に暮らしていました。清教徒たちはアメリカに到着後飢えて全滅しかけたところをインディアンに助けられたにも関わらず、土地を次々と奪い取って支配地域を広げてゆきました。その過程で言葉に尽くしがたい残虐行為を働いたのです。それらは「マニフェスト・ディスティニー(明白な運命)」というまことに手前勝手な美名のもと行われました。清教徒たちを飢えから救ったインディアンの酋長が死ぬと、その息子を殺して首を20年間もプリマスの港に晒し、彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売りました。そういった残虐行為は何もかも「アメリカの西部開拓は神の意思による当然の運命である」とする「マニフェスト・ディスティニー」の美名のもとに行われたのです。
 その後西部でゴールドラッシュが起き、強欲な白人たちは大挙して先住民の土地に侵入し、時の大統領アンドリュー・ジャクソンは先住民を荒れ果てた土地へ強制移住させました。その時老婆にさえ思い荷物を背負わせて歩いて移動させたのです。その結果数万人が死に、今でも「涙の旅路」と言い伝えられています。
 建国の父とされるワシントンも奴隷解放で知られるリンカーンも先住民を迫害しました。ワシントンは「姿こそ違えどインディアンは狼同様の猛獣である」と言い、リンカーンも奴隷解放宣言を発布した前後にスー族の討伐命令を下しています。そもそもアメリカはスー族と条約を結び土地を譲渡させる代わりに多額の一時金と毎年年金や食料を提供すると約束していたにも関わらず、年金は支払われず提供される食糧は粗悪を極めるものでした。そのためスー族が決起するとリンカーンは軍に銘じて全滅させ、続いてナバホ族を襲った。捕われたナバホ族8500人は483km離れた強制収容所へ徒歩で移動させられました。ここでも数百人の老人子供の死者が出ました。
 さらにアメリカ軍は無抵抗のシャイアン族とアラバホ族の村を襲い無差別虐殺を行いました。この虐殺の指揮を執ったのは元牧師のチヴィントン大佐でしたが、女子供も見境なく殺しました。40人ほどの女たちが窪みに入って弾丸を避けていましたが、6才の女の子に白旗を持たせて窪みから出したものの3歩も歩かない内に撃ち殺され、他の女たちも撃ち殺され、全員の頭皮が剥ぎ取られました。また女の腹が裂かれ胎児が取り出され傍に捨てられていました。この虐殺の原因は先住民の居留地で金が見つかったせいで、先住民が邪魔になったから白人たちは女子供まで無差別に殺したのです。
 以後ずっとアメリカの戦争はアメリカを守るためではなく「マニフェスト・ディスティニー」という狂気のイデオロギーを膨張させるためのものだったのです。その行き着く先は世界征服です。