Give & Take 論と平和憲法
Give & Take 論では最も成功するビジネスマンは誰なのかを論じています。そこでは少なくとも金を稼ぎたいと思っている者は稼げないそうです。Giver(与える者) 、Matcher(仲介者)、Taker(悪魔)の中で、MatcherやTakerはそれほど成功しないそうです。最も成功するのはGiverだそうです。しかし最も貧しくなるのもGiverだそうです。その違いは、最も成功するGiverは他者志向型であり、上手にマッチングさせた時とてもうれしいと感じ、その時の直感に基づいて圧倒的にGiveします。しかし最も貧しいGiverは自己犠牲型であり、自分を犠牲にしても他人にGiveしなければならないと観念的に思っており、視点が外部にあります。このタイプは失敗するそうです。
Giveするものを物と思ってはいけません。物と思うと与えることで自分の所有物が一つなくなると思ってしまいます。ですから物を通して実は生命力を与えているのだと思うことです。生命力は与えても与えてもいくらでも沸々と湧いてくるものであって、無くなりはしません。そして他人が喜ぶ姿を見れば生命力は一層高まるのですから、惜しむ必要はありません。
しかし本当のGiverは相手がTakerだった時だけ態度を変えます。Takerは悪魔だから優しくしたり可愛がってはいけません。そのためMatcherに変わります。そして悪魔にふさわしい厳しい対処をします。厳しく対応すべき相手には厳しく対応する必要があるのです。ですから現行の平和憲法の精神はおかしいのです。
共産主義社会の実験
力とマネーによる支配、それが人類の大昔からの社会でした。それを庶民が自治する社会へ変えようとして生まれた手法の一つが共産主義社会です。しかし、それは大失敗に終わりました。そんな理想の実現のためには庶民一人ひとりが明確な権利意識を持ち、また積極的に義務を果たそうという強い公共意識を持たなければなりません。ところが現実は権利ばかりを主張して義務を果たそうとしない庶民が後を断たず、結局自由競争の資本主義社会に敗れてしまったのです。
日本人は大御宝としての権利と義務の自覚を持て
日本社会の場合は伝統的に権力者と奴隷の関係ではなく、権力者の上に天皇が存在し、しかも民衆は天皇の大御宝(おおみたから)とされていたため、権力者は決して横暴を許されません。それはまるでピラミッドの三角形が縦横に繋がり、球体を構成しているようなもので、その中心に核として天皇が存在しています。そこに上下関係はなく、いうなれば究極の民主主義が実現していたわけです。しかし民衆に大御宝としての権利と義務の自覚がなければ、その社会は機能しなくなってしまいます。
アイヌは日本列島先住民ではない
ジオ・ヒストリアを著わした茂木誠氏によりますと、13世紀には樺太にいたアイヌが対岸の沿海州に度々侵入していたようです。そこで沿海州のギリヤーク人はアイヌの侵入に対抗するためモンゴルに援軍を求めました。それに応じてモンゴル軍が樺太へ侵攻した(北の元寇と呼ばれる)ため、追い出される形で樺太アイヌが北海道へ移住してきました。DNA調査によりアイヌが縄文人の遺伝子を受け継いでいることは判っていますが、アイヌ語は日本語とはまったく別系統の言語であるため、蝦夷とアイヌとは別民族です。ところが日本人がアイヌのことを「蝦夷(えぞ)」と呼んだため混乱が起き、誤解されました。明治時代に考古学や民俗学が導入されると、アイヌを縄文人の一種とする日本列島先住民説が流布されたため、その影響が今日まで続き、2019年には先住民族アイヌの誇りを尊重するためと称してアイヌ新法が制定されました。アイヌ文化の尊重は判りますが、歴史的事実に照らせばアイヌは先住民族ではなく鎌倉時代に蝦夷地に流入した渡来人です。北海道の先住民は縄文人の末裔である蝦夷であり、彼らから見ればアイヌも和人と同様侵入者です。