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皇紀2684年(2024)11月

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日本人にとって「私」は「私たち」である

 日本人にとって「私」は実は「私たち」なのであって、私は私たちの中の一部にすぎないのです。だから「私たち」がいなくなれば「私」も存在できません。それを再認識できるのが祭りであり、皆が一体となって神に祈りを捧げ、「私」が「私たち」なのであることを確認するのです。

保守と右翼と左翼の違い

 日本の保守主義の源流は本居宣長にあります。保守というのは現状を破壊せず徐々に改善してゆこうとする思想ですが、それに対して右翼は現状を破壊して昔に戻そうとし、左翼は現状を破壊して未踏の未来へ向かわせようとします。

庄屋とは

 江戸時代、庄屋は村の首長で(関東では名主、東北では肝煎〔きもいり〕と言います)、概して武士より裕福で、広大な農地を保有し、広い屋敷に住んで、文書の作成に携わるため読み書き算盤のできる村を代表する知識人でした。その家系はもともと名門家系だったことが多く、戦国武将の有力な家臣が江戸時代に庄屋となったケースはかなり見られます。そのため支配階級の末端としての面と被支配階級の代表者としての面を併せ持つため、しばしば板挟みの苦悩を味わう場合もありました。

グローバリズムは資本主義が生んだ

 グローバリズムは資本主義が生んだのです。軍産複合体もネオコンもディープステートも資本主義が生んだのです。しかし資本主義抜きでは社会は成り立ちません。だから国家が制御する必要があります。

資本主義を制御する

 資本主義はやがてすべてを商品化しようとします。しかしカール・ポランニーという経済学者はこの世に商品化できないものが3つあると言います。土地・人間・通貨です。そのためこれらを商品化させないために国家が規制し制御しなければなりません。ところが現実は政府が資本主義より下にいます。それが大きな問題です。