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皇紀2684年(2024)5月

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民主主義と臣民政治

 民主主義が機能するのは、すべての重要な利害関係者が国に対する忠誠のみならず、現に存在する社会の構造的原理に対する忠誠においても、事実上一致している場合だけです。すなわち臣民政治においてのみ機能するのです。また完全な多数決原理も民族的に単一な団体の中でのみ意味を持つのです。

2.26事件の青年将校たち

 昭和年間に起きた2.26事件を起こした青年将校たちは、国粋主義者であり右翼だったとされていますが、実は共産主義者であり偽装右翼でした。彼らの思想は北一輝が提唱していた国家社会主義です。北一輝は随所に天皇を持ち出して国粋主義を偽装していましたが、私有財産制の否定や国家による市場介入の正当化など、その本質は共産主義でした。

マーガレット・ゴッドリーブの言葉

 CIAでLSDの実験をして多くの犠牲者を生んだシドニー・ゴットリーブの妻マーガレット・ゴッドリーブは、子供たちには信仰と伝統を教え、全ての人間が潜在意識でどのように繋がっているか、その向こうには何があるかを理解させる。また古い伝統と繋がっていることや、自分が大きな共同体に属していると感じること、家族・地域・学校・町・教会に属していることを理解させる必要がある。素晴らしい音楽・本・古い民話に出会い、民族衣装について知り、祖先がどのように生きたか、動いたか、話したかを知ってもらいたい、と言っていました。これぞ伝統的価値観を重んずる旧家の人々が一般の人々に伝えたいことと同じなのではないでしょうか?

戦後教育の二つの致命的欠陥

在野の天才と呼ばれた小室直樹は、日本の戦後教育には二つの致命的な欠陥があると指摘しました。

  1. 真のエリート意識、ノブレス・オブリージュ(優者の責任)を失ったこと。
  2. 単なる受験中心の教育システムに成り下がったこと。

 そして日本を再興させる次世代の指導者は、戦後教育を拒否した登校拒否児の中から現れると予言しました。その根拠は以下の3つです。

  • 立志コンプレックス
  • 行動的禁欲
  • 最良の甘え

 立志コンプレックスとは前向きなコンプレックスのことです。源義経がとても強かったのは、子供時代に鞍馬で源氏の嫡流であることを教えられ、平家打倒を使命と思い込み努力したからです。吉田松陰も子供時代に藩主の前での講義を絶賛され、己の才能を確信したからです。現在の教育のように否定的な叱責ばかりでは立志コンプレックスは生まれません。
 行動的禁欲とは一つのことだけに全身全霊を傾けて取り組むことです。その代わり他のことは一切しません。その精神が資本主義の精神に繋がったのです。
 最良の甘えとはどれだけ厳しく教育されても、最高に愛されていることを感じさせることです。するとそこに最良の甘えが生まれてきます。それは教育者と同一化してしまうことです。

崎門の学者たち

日本に近代化の精神をもたらすため絶対不可欠な「絶対者」を作り上げたのは、山崎闇斎(あんさい)一門の崎門(きもん)の学者及び山鹿素行たちだったと小室直樹は書いています。彼らは朱子学を換骨奪胎して天皇絶対主義を打ち立てました。支那文明を超克した思想、すなわち朱子学の革命は容認されるべきか否かという未解決問題を思想的に解決したと書いています。
 朱子学では革命が起きる度に誰が正統なのかをどうやって判断するのかが未解決でしたが、日本では幕府が実権を奪っても、絶対者である天皇が一貫して国を治めてきたという歴史に着目して、革命などは決して認めないことが正しいと結論付けたのです。天皇絶対主義はカルヴィニズムに似ています。神は絶対であり、天皇は絶対の存在です。またユダヤ教やキリスト教には預言者が現れて権力を外から批判しますが、儒教には預言者がいません。しかし崎門の学では預言者に大変近い性質を持った「義士」「烈士」がその役割を担ったと説明します。ではなぜ天皇を絶対者とすることが出来たのでしょうか? それはイエスの復活と同じです。イエスは処刑後に復活したとすることで神になりました。天皇も承久の乱で死んだ後、崎門の学により「現人神」として復活しました。ここに天皇教が誕生したのです。
 ところで大嘗祭は天皇家の最重要祭祀。核心の神事が行われる部屋には神坐に寝床が敷かれています。その神の名を誰も知りません。その部屋では天皇が一人神饌を食べた後寝床に臥し、祈りを唱えてから立ち上がって部屋の外へ出てゆきます。これは明らかにイエスの復活を儀式化しています。