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皇紀2685年(2025)8月

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「ワイルド・スワン」ユン・チアン

 匪賊のやることは残虐そのもの(日本軍のせいにしている数々の蛮行も、そのやり方で匪賊の仕業だとわかる)。

 共産中国は1957年が転換点。毛沢東はフルシチョフのスターリン批判で自分も同様に批判されるのではないかと恐れ、周囲の者に強い猜疑心を抱くようになった。

■反右派闘争
 毛沢東が反共への恐怖心から無実の者を思想犯として弾圧するに及び、誰もが本心を言わなくなった。

■大躍進運動
 毛沢東の現実離れした鉄鋼増産という狂気の経済政策のせいで、農作業が後回しにされた結果、農民を中心に全土で3000万人が餓死した。しかも政府はそれを、ソ連から朝鮮戦争時の莫大な借金をいきなり返せと言われたために食料がなくなったのだ、と言い訳した。

 国民党が支配していた時代には、資本家や地主がいかに酷く労働者や小作人を搾取していたかが語られ、日本が支配していた時代には、日本軍兵士がいかに酷く中国人を扱ったかが語られた。

 毛沢東は自身を神格化し「皇帝」となっていった。全国の農民が蜂起して腐りきった王朝を倒し、その指導者が賢帝となって新たな絶対政治を行うという、中国の歴史ではおなじみのパターンだ。庶民は「平和な世に犬として生きるほうが、戦乱の世に人間として生きるよりましだ」と思っていた。

 毛沢東は自己審問と自己批判の習慣を国民に与え、自分の考えを一切持たない人間にしようとした。

 文化大革命はいかなるマルクス主義、共産主義をもってしても正当化しうるものではない。人民の基本的な権利や安全が侵されている。

 文化大革命は毛沢東が個人的権力を強化するための粛清だ(スターリンの粛清と同じ)。

修正主義者の系列‥‥‥‥‥劉少奇 → 鄧小平。
改革・解放政策の系列‥‥‥周恩来 → 鄧小平。

 毛沢東思想の本質は、果てしない闘争を必要あるいは希求する論理である。人と人との闘争こそが歴史を前進させる力であり、歴史を創造するには絶えず大量の「階級敵人」を製造し続けなければならない。あるいは彼の人格の延長だったのかもしれない。彼は生来争いを好む性格で、しかも争いを大きく煽る才能に長けていた。嫉妬や怨恨といった人間の醜悪な本性を実に巧みに把握し、自分の目的に合わせて利用する術を心得ていた。彼は人民が互いに憎みあうよう仕向けることによって国を統治した。他の独裁政権では専門組織がやるようなことを憎みあう人民にやらせた。だからソ連のKGBのような弾圧組織が必要なかった。
 もう一つ無知の礼賛がある。彼は正規の学校教育を憎み、教育を受けた人間を憎んでいた。また古今の優れた才能を蔑視していた。建築・美術・音楽など自分に理解できない分野の価値をまるで認めなかった。そして中国の輝かしい過去の文化遺産まで破壊して、醜いだけの中国を残した。

 四人組は本当は五人組である。もう一人は毛沢東であった。