「逆説の日本史17」井沢元彦 1
縄文人はおそらく東南アジアから渡ってきた人々だ。彫りが深くて多毛だから。後から朝鮮経由で渡来してきた農耕民族(弥生人)が先住民族の縄文人を支配して混血が進んだ。しかし列島の北端と南端は弥生人が移住しなかった。だから「部落差別」は農耕民族の長である天皇家の本拠である近畿地方を中心に存在する。関東や東北にゆくに従って差別は希薄になる。その根源には死をケガレと捉える発想があり、これが死や血に触れる職業人を蔑視することになっていった。今でも沖縄やアイヌでは肉食文化が濃厚だ。
松前藩の武士はやがて商業を賤しむようになり、アイヌとの取引を内地からやって来た商人に一任したため、「アイヌ勘定(アイヌ側はシャモ勘定と呼ぶ)」と呼ばれる悪どい詐欺取引が横行するようになる。純朴で金勘定に疎いアイヌを騙して暴利を貪ったのである。しかしアイヌ側も実はしたたかに対応していたらしい。
朱子学には歴史を理想通りに改竄する悪癖がある。2000年以上前にも韓非子が「儒教は昔の方が良い時代であったという証明不可能な予断を持っている」と批判していた。朱子学は「亡国ヒステリー教」である。
松前藩は当初アイヌを同化しようとした。同化政策と差別政策は違う。同化政策とは異民族を同族化してだんだん差別がなくなるように仕向けることであるが、差別政策は南アフリカのアパルトヘイトのように違いを明確に残し、いつまでも差別し続けることである。しかし同化政策には異民族の持っていた独自文化が破壊されてしまうという弊害がある。つまり善意で行った事は絶対に正しいという「善意絶対主義」は実は誤りである。アイヌ側に言わせれば「地獄への道は善意の石畳で舗装されていた」ということになる。
古事記は神道の経典であり、日本書紀は歴史書である。代表的な国学者である本居宣長が古事記や源氏物語の研究を通して感得したことは、仏教や中国思想に汚染される以前の日本人の無垢な心情である。それを彼は「もののあはれ」と呼んだ。これは調和のとれた優美繊細な情趣の世界を理念化したものであり、儒教のように勧善懲悪の単純な見方をせず、複雑な人間の心情をそのまま受け止めるべきだと主張した。それは儒教圏の中国や朝鮮にはまるでない考え方である。しかし宣長の影響は文学方面より日本の宗教や政治思想に対してこそ大きかったと言える。それは日本人の宗教の完成者であり、明治維新の大の功労者だからである。維新の時代に売国奴が一人も出なかったことや、大政奉還が可能だったことも、彼によって思想が確立されていたからである。彼は日本の統治権は天照大神から委任されているのであって、民も国も天皇から預かっているものだと断言している。
「逆説の日本史17」井沢元彦 2
現在でも日本のキリスト教徒は1%強しかいないが、広まらなかった理由は幕府による禁教令が出たこともあるが、それ以上に日本人の中に一神教の原理を受容できない素養があったからである。それは和の精神であり、本居宣長が生み出した「天皇絶対教」があったからである。
この世に起こるすべてのことは神の計らいである。神はもともと和魂(ニギミタマ)と荒魂(アラミタマ)を持つと考えられていた。そこで宣長は絶対神である天照大神にも当然悪をなす部分があるはずと考え、その荒魂を禍津日神(マガツヒノカミ)だとしたのである。この神は黄泉の国の穢れから生まれ、災厄をもたらす神として既に知られていたが、実は他に特別な性格を持つと言うのである。宣長の古事記伝によると禍津日神は別名を瀬織津姫(セオリツヒメ)と言い、この世の罪を海の彼方に流し捨て、祓い清める霊力をもつ神であると言う。
宣長の「天皇教神学」では、現世においては辛いことや哀しいことがあっても、天皇と共にあることで幸せなのだとするが、来世の救いが何もないことが欠陥と言える。その欠陥を埋め「天皇教神学」を完成させた人物こそ平田篤胤であった。
仏教では霊の存在を認めていない。死ねば別の生き物に転生すると教えている。しかし日本人は霊魂は不滅で意思を持ち子孫を見守っていると考える。これは祖霊信仰であり、世界の主要な国々ではほぼ絶滅したと言っても良いが、日本だけでしぶとく生き残った。この考え方を強固にした人物こそ宣長の後継者と自称した国学者で神道家の平田篤胤である。
篤胤は死後に黄泉の国へ行くのは肉体だけであって魂は幽冥界に行くとする。幽冥界とは人間のいる地上界と神のいる天上界の中間にある世界で、大国主命(オオクニヌシノミコト)が主宰する。人は死ぬと霊となって幽冥界に行き、そこで審判を受けて現世での功罪に応じて褒賞懲罰を課すとしている。
篤胤の天皇教は人々に熱狂的に支持され、この信仰の力が国民統合を生み、幕末の欧米列強の侵略を跳ね返した。