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皇紀2685年(2025)7月

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原爆投下は予告されていた/古川愛哲 2

 日本はベラスコら在米スペイン人諜報組織からの情報で、マンハッタン計画を知っており、ニューメキシコ州で行われた爆発実験も原爆であることを知っていた。しかしスペインの日本公使館から打電されたその情報は、いつのまにやら記録から消されている。意図的な原爆情報隠しがあったのだ。

 日本でも1940年4月より陸軍が原爆開発を行っており、「ニ号研究」と呼ばれた。理化学研究所の仁科博士の姓から取ったものである。1943年に東条英機首相も「アメリカやドイツで原爆研究が進んでいるので日本も遅れるな」と指示している。だから軍部はアメリカの原爆研究についてよく承知しており、原爆完成を夢にも思わなかったというのは言い逃れである。

 原爆が投下される前の長崎造船所で使役されていた米軍捕虜の証言がある。それによると、日本の民間人も捕虜と変わらない待遇で働いていた。幼い少年少女もきつい仕事をしていた。中国で捕虜となっていた日本の古参兵もおり、彼らは捕虜体験の傷を負っていた。鼻や耳を切り取られていたり、踵の腱を切られている者もいた。その男はピョンピョン飛び跳ねながら歩いていたので思わず笑ってしまったが、その原因を知ってからは笑えなかった。つまり長崎市民も捕虜同然の扱いで、原爆情報は伝えられず犠牲となってしまったのだ。しかし軍関係者だけは原爆が投下されることを知っており、事前に避難した。

 これを聞かされると日本人の一人として何も言えなくなる。旧日本軍というのはここまで一般国民の命を軽んじていたのか。国体を守るといっても国民なくして守れないだろう。むしろ天皇は国民あっての国体だと思っていたに違いない。まさに旧日本軍というのは異形の化物だ。

原爆投下は予告されていた/古川愛哲 3

 B29のスウィーニー大佐は、小倉で原爆投下に3度トライしたが失敗したので、目的地を変更し長崎に向かったが、その時誤って肘で通信装置のスイッチを入れてしまい、交信を日本軍に知られてしまった。そのため日本軍は明らかに次は長崎に投下されることを知っていた。

 因みに東日本大震災の時、福島第一原発の作業員達は劣悪な状況下で作業を強いられ、線量限度を超える被曝をした。しかし東電の清水社長は高血圧と称して入院し、その間自宅の住宅ローンを完済していた。それはきっと後で私財提供を迫られた時のことを考慮してのことだろう。こんな奴は日本人の面汚しだ!

 長崎へ投下後、その日の内に米航空母艦が数隻の軍艦と共に長崎湾に入った。捕虜救出のためであるが、機雷が敷設された湾を水先案内したのは海軍の船であった。実はこの頃海軍は既に終戦に向けて動き出していたのである。

 チャーチルはポツダム会談の中で日本に3回警告した上で原爆を投下するべきだと言い、トルーマンはそれに同意していた。しかしグローヴス将軍は原爆の機密を優先して無警告で投下すべきと主張していた。そこで日本の井上勇グループとの短波放送を介した秘密交渉で、事前に警告したことにしたのではないか。井上勇グループの背後には米内光政海軍大臣がいた。

 黒木雄司伍長はその著書の中で、ニューデリー放送が日本語で日本時間に合わせて、1945年6月1日スチムソン委員会が全会一致で日本への原爆投下を大統領へ勧告し、7月15日爆発実験成功、8月3日広島への投下を予告、長崎への投下は8月7日より毎日3回予告放送をした、と記している。このことを多くの歴史家は歯牙にもかけないが、マンハッタン計画を主導したロス・アラモス研究所のオッペンハイマー、フェルミ、ボーアによって原爆情報がソ連に流されており、ソ連のスパイであるスドプラトフの手に原爆設計図が渡ったのは1945年初頭である。そうであるならば十分有り得ることだ。ましてや対日宣伝放送は諜報・謀略部門が行うものだ。原爆の無警告投下に反対していたロス・アラモス研究所の学者達から、情報を入手したニューデリー放送が密かに放送したのかもしれない。無警告投下については暫定委員会のR・A・バートも反対して辞任したほどだから、どこから漏れてもおかしくはない。あるいは事前の3回警告をアメリカが守りそうもないので、イギリスが諜報組織を通じて情報をニューデリー放送に流したのかもしれない。しかし黒木伍長からの報告は大本営まで届かず誰かに握り潰された。
 広島投下に際しても8月3日に予告放送があった。8月6日原爆を広島へ投下する、という内容を朝から夜まで3回繰り返された。
 黒木伍長はニューデリー放送について、インドからの放送にしてはあまりにも良く聞こえるため、実は米軍司令部か情報センターから放送されたのではないかと書いている。

原爆投下は予告されていた/古川愛哲 4

 長崎に投下したB29の77号機「ボックス・カー(ロスト・パラダイス)」が、テニアン出発時に燃料ポンプ故障が判明していたのに敢えて離陸していること、台風接近の中で敢えて決行されていることを考え合わせると、広島に投下したエノラ・ゲイ号の作戦実行における慎重さに比してすこぶる乱暴で違和感を感じざるを得ない。これはアメリカと米内海軍大臣との間で密約があり、どうしてもこの実行日を守る必要があったのではないかと思える。

 当時非人道兵器として毒ガス兵器が禁止されていたが、原爆はそれ以上の非人道兵器なので、それを最初に使用してしまったアメリカは、未来永劫その罪を問われなければならない。

 日本の敗戦の原因は、希望的観測のみを語り現実から目を背けた陸海軍高級将校と官僚・政府にある。さらにそれに追従する者だけが利益を得るという国体の仕組みにあった。