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皇紀2685年(2025)7月

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原爆投下は予告されていた/古川愛哲 1

 戦争における日本の政治家・官僚・高級軍人の死亡率は非常に低い。因みにイギリスは非常に高い。

 高級軍人が死傷すれば作戦遂行が困難になり、また人材補充も困難であるという考えは尤もだが、日本軍の場合は高級軍人が本当に優れた指揮官とは言えず、将兵を無駄死にさせることが多かったことも事実である。何事もバランスが大事だということだ。
 優秀な高級軍人を得るためには自ら立てた作戦を先頭に立って実践させ、目標を達成させることだ。失敗すれば死ぬことになるが、生き残った者は真に優秀な高級軍人となる。それは部下の将兵を無駄死にさせることをしないだろう。

 支那の広東で原爆投下予告を傍受した黒木雄司伍長という日本兵がいた。

 1994年度のドキュメンタリー映画「原爆死」(ケーシー・ウィリアムズ作)によると、長崎投下8月9日当日に米兵捕虜救出のため米軍空母が湾に入り兵士が上陸していた。

 原爆投下は米・英の共同計画であった。投下を知りながら回避しなかったのは日本の陸・海軍首脳たちである。

 日本という国は強者が弱者を盾にし、危機が迫ると弱者を置き去りにして逃げる、という歴史を繰り返してきた。

 日本軍は皇軍であり、最優先事項は天皇を守り抜き国体を守ることだ。だから満州や沖縄の悲劇が起きた。このことは日本人自身がよくわきまえておくべきことだ。

 関東軍参謀だった辻政信は、ノモンハン作戦失敗の責任を戦闘部隊の兵士に押し付けて自決に追い込んだ上、短期間で参謀に復任した後、太平洋戦争で更に日本を泥沼に引きずり込んだ。加えて戦後日本が独立を果たした後こっそり帰国し、国会議員になって米軍砂川基地反対闘争を鼓舞した。しかしこのような恥知らずな軍人は彼だけではなかった。

 戦後5年間「最大許容放射線被曝線量」はアメリカの屁理屈で改竄されていた。原爆は空中で爆発するので、爆煙と共に放射性物質は風で大気圏に拡散し地表に放射線は残留しないとされていた。ABCC(原爆障害調査委員会)は放射能の影響を少なく見積もるために、意図的にデータを操作した。そして日本政府もその屁理屈に追従した。

 責任は戦争の歴史を現在とは無縁と考えた戦後の偽善的精神風土にある。

 第二総軍首脳と中国軍管区司令部は、新型爆弾(原爆)投下の確証を掴んでいたにも拘わらず、広島市民を爆弾の性能を確かめるためのモルモットにして自分達は逃げたのである。旧日本軍が守ろうとしていたのは国民ではなく国体なのだ。民衆よりもまず自分達を守ろうとしたのだ。

 広島の原爆はウラン核分裂型で「リトルボーイ」と呼ばれた。長崎の原爆はより威力の大きいプルトニウム型で「ファットマン」と呼ばれた。

 原爆投下について当初米政府と米軍部首脳の見解は違っていた。米海軍提督ニミッツは「既に日本を封鎖しているので原爆投下は不要」、太平洋戦略航空軍団総司令官スパーツ将軍・第21爆撃団ルメイ司令官は「爆撃で日本の降伏は時間の問題なので原爆は不要」、暗号解読で日本の内部事情を察知していたバーンズ国務長官は「日本は和平を求めて動いているので原爆は不要」と主張していた。にもかかわらず原爆が投下されたのは、1945年6月1日に開催された陸軍長官スティムソン率いる暫定委員会で既に決定されていたからである。それは国策として20億ドルもかけた原爆開発に対し、成果を見せることで国民から支持を得なければならないという理由であった。しかしそれが想像以上の破壊をもたらしたため、アメリカは戦後一転して「日本の降伏を達成するため投下した」と主張した。

 旧皇族の竹田恒泰によればバーンズ国務長官はトルーマンと共に日本への原爆投下に積極的であった。