愚かな外交 悲しき日本
拓殖大学国際開発学部教授の安村廉(やすむらきよし)氏は言う。戦後すぐに東西冷戦が勃発したことは日本に神風が吹いたと言える。そのおかげでGHQの方針が日本を共産勢力の防波堤とすることに変わり、強力な軍隊を持つ一大工業国としての現在の繁栄がある。
[日本の場合]
- 賠償請求をしてきた連合国側の国に対し国家賠償を行い、20数年かけて完了している。請求してきたのはフィリピン、ベトナム。他国は請求放棄。
- 日本の在外資産の引渡し。
- サンフランシスコ講和条約国以外の国には二国間条約に基づき、ビルマ、インドネシアに賠償 支払い。インド、中国、ソ連は請求を放棄。
- マレーシア、シンガポールへは経済協力の供与(旧宗主国が請求放棄したため)。
- 戦争相手では無かった韓国に対しては、賠償ではなく3億ドルの無償、2億ドルの有償経済協力を行った。台湾に対しては経済協力。北朝鮮に対しては国交正常化後の課題となっている。ミクロネシアに対しては福祉向上の観点から自発的に18億円を拠出した。
- その他として、在サハリン韓国人の帰国費支援7億円(1994年現在)、在韓被爆者への支援40億円、台湾人及び遺族に弔慰金585億円(1994年現在)を支払っている。
[ドイツの場合]
国家賠償はせず、ナチスの犯罪被害者個人に対し賠償をしており、現在も続けている。
■朝鮮人の強制連行について
日本の朝鮮併合は合法であった。1910年李完用首相が出席し条約が締結されている。イギリス・アメリカ・ロシアも認めた。
1938年総動員法が施行され、朝鮮人も日本人同様徴用され、日本に連れてこられた者も大勢いたが、殆どが終戦後朝鮮へ一旦帰ったものの朝鮮戦争や生活苦から日本に再入国した。それが在日朝鮮・韓国人である。徴用で強制連行されたまま帰国する機会を失ったというのは嘘である。
■創氏改名について
強制的に日本名に変えさせたわけではない。その証拠は有料(手数料50銭)であったこと。任意だから有料であった。ただし末端の役人だった朝鮮人が、成績を上げようとして無理強いした可能性はある。そして貴族階級である両班(ヤンバン)は改名しなかった。家柄の良さが逆に立証されると考えたため。また日本陸軍の朝鮮人将校も殆ど改名していない。もし強制であったら将校が改名しないことなど決して許されない。
■韓国に対する反省は1965年に完了している
日韓交渉において、1910年8月22日以前に締結されたすべての条約・協定は無効とし、時の椎名外相・佐藤栄作首相は「不幸な期間があったことを遺憾として深く反省する」と述べ、交渉は妥結した。それ以降の謝罪外交は、13年8ヶ月を要した難交渉にあたった先人の功績を無にし、侮辱するものである。
■中国に対するODAのバカバカしさ
外務省は「友好関係を築くことで国際機関重要ポストの選挙で票をもらい、最終目標は国連安保理の常任理事国入りを果たす」ことをODAの目的としているが、中国こそが日本の常任理事国入りに反対しており、拒否権を持つ国が反対したら決して実現しない。このようなバカバカしい朝貢外交にも等しいことを続けていると、諸外国の軽侮を招き著しく国益を損ねかねない。
■有条件降伏であったこと
ポツダム宣言には米・英・中の三国により8条件が示されており、日本は国体の護持を条件として停戦を受け入れた。また国際法では国家が国家に降伏するという概念はなく、降伏したのは日本軍隊だけであり、国家間の約束事は受け入れた国だけでなく提示した国も等しく拘束する。しかし連合国側はその停戦条件を破り、不法にも占領行政を行ったのである。
保守とは、国民主権を柱とし、伝統・文化を自らのアイデンティティーとして、これを活力に革新してゆく立場を言う。