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皇紀2685年(2025)9月

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ルーズベルト秘録 1

(産経新聞取材班)

米国においてF・ルーズベルトほど評価の分かれる大統領はいない。

 ヤルタにおける米・英・ソの密約が戦後北東アジアで起きた災厄の原因となった。中国内戦激化、朝鮮分割、ソ連による日本北方領土占領。千島列島は1875年樺太・千島交換条約で日本領になり、南樺太は1905年日露戦争の結果日本領となっていた。ルーズベルトは対日戦で手を焼いていたため、これらの領土を対日参戦の見返りとしてソ連に与える密約を交わした。そして3ヶ月分の武器弾薬をソ連に提供した。
 1951年日本はサンフランシスコ講和条約で南樺太と千島列島を放棄したが、北方四島は千島列島には含まれないので日本領だとしている。

 戦後ドイツの工業力を破壊し農業国にしてしまうというモーゲンソー案が、ルーズベルトとチャーチルの承認の基に採択された。しかしハルもスティムソンもそれがドイツ人の復讐心を起こさせ新たな戦争の引き金になると反対した。

 日本への原爆投下はソ連の参戦前に日本を無条件降伏させる目的で使用された。当初ルーズベルトは日本の降伏を早めるためソ連の参戦を促してきたが、共産主義の脅威が問題化してきたため急遽方針変更された。

 原爆はソ連参戦前に日本を無条件降伏させる目的で使用されたのではなく、人体実験をしたいがために使用されたのである。そのためにポツダム会談の開催日をわざと順延したりしている。その間に原爆を完成させるためである。ソ連が参戦すれば日本はすぐに降伏することが明らかであったので、その前に人体実験をしておきたかったのである。トルーマンとバーンズ国務長官は未来永劫その人道に背く行為を罵られ続けるだろう。
 陸軍長官スティムソンは原爆投下を事前に日本に警告すべきであるとトルーマンに進言したが、大統領は新国務長官バーンズの意見に従った。バーンズは原爆製造に携わった科学者達の原爆使用反対のメモを無視してまで無警告での原爆投下を説いた。その理由は20億ドル超もの巨額開発費に見合う成果を国民に示さなければ、政治問題化するからというものであった。
バーンズの原爆投下理由は巨額開発費というだけの単純なものではない。

 当初原爆投下地点は京都・広島・新潟だったが、日本をよく知るスティムソンが文化都市の京都を破壊したら米国は決して許されることはないだろう、と警告したため外された。

 1945年7月のポツダム会談が近付く頃、日本外務省はソ連に停戦の仲介を頼むため近衛文麿を派遣することにしたが、モスクワの佐藤大使は、対日参戦の可能性があるソ連に仲介を依頼するという滑稽なほど現実離れした日本の外交感覚を批判している。

 ニューディール(新秩序)構想の下に1933年設立されたNRA(国家復興庁)はナチズムに近い思想を持っていた。ナチスの党大会並みに壮大な「青鷲パレード」がニューヨークで行われ、国民の意識改革を図ろうとしていた。ルーズベルトはアメリカ伝統の自由放任経済は破綻しており、統制経済がそれを救うと考えていた。しかし「ニューディールはファシスト運動」とか「ニューディールは共産主義運動に他ならない」と評する者が大勢いた。そしてニューディール政策は1年もしないうちに行き詰まりを見せ始めた。そこで反ニューディール勢力がクーデターに動いた。その中心は「アメリカ自由同盟」であった。しかし計画は頓挫し、下院非米特別委員会の追及も証拠不十分として取り止めとなった。

 アメリカ自由同盟の会員でルーズベルトのライバルであった民主党議員アル・スミスは、ニューディールはマルクスとレーニンのことであり共産主義政策であると言った。しかしこれが国民に金持ちによるニューディール潰しと捉えられ、ルーズベルト再選のきっかけとなってしまった。

 ニューディールは二期に大別でき、一期は大不況克服の手段として計画経済導入を図り、二期は大企業を締め付け労働者階級を救う社会の公正を目的とした。いずれもルーズベルトが共産主義を強く意識していたことを窺わせる。

 ルーズベルトはナチスを恐れており、ドイツを叩きたいと考えていたが、リンドバーグはドイツがソ連と独裁国家同士潰しあえば良いとして、アメリカの不参戦を熱心に説きルーズベルトと対立した。しかしそのせいでリンドバーグはナチス信奉者で国家の裏切者と中傷されることになった。

 ルーズベルトは国内法で禁止されていたにも拘わらず、フランスへ戦闘機や爆撃機をカナダを経由させる方法で提供しようとした。しかしテスト飛行で事故が起き、その機にフランス人が乗っていたことがスキャンダルになり、計画は挫折した。

 リンドバーグの妻であるアンは「未来への波-信念の告白」の中で、ルーズベルトが英仏と独の争いを「民主主義と全体主義」「善と悪」の抗争としていることに対し疑問を投げている。「民主主義の世界が危機にあり、それを救うために我々は戦わなければならないと言う。善が悪と戦っており我々はその善に属するそうだ。だが果たしてそうなのだろうか。民主主義はそれほど道徳的に優れているのだろうか。キリストは「汝貧しき者に与えよ」と諭した。持てる国(英仏)が持たざる国(独)にあの時(第一次大戦)与えていたなら、ナチズムもこの戦争もなかっただろう」
 40ページ足らずのこの本は大ベストセラーとなった。当時米国民の8割は参戦する気などなかった。

 リンドバーグはアイオワ州デモインで有名なスピーチを行った。「欧州で戦争が始まって以来、アメリカを参戦させようと扇動する三つのグループがある。英国、ユダヤ人、政府だ。つい先日まで戦争反対を叫んでいた共産主義者たちも、ドイツとソ連が戦争を始めた途端、介入を主張し始めた。英国が介入を求めるのは米国が参戦しなければ勝てないからだし、ユダヤ人の場合ドイツでの苦難を考えれば理解できる。だが最大の扇動者は実はルーズベルトなのだ」と。またユダヤ人について「映画・新聞・ラジオ・政府に大きな影響力があり、米国にとって危険」と述べた。これがドイツ同様ユダヤ人差別をしていると大問題になり、あらゆるマスコミを敵に回してしまった。しかしリンドバーグは「本当のことだ」と取り合わなかった。

 リンドバーグは実に慧眼だ。こんな時代の中で揉まれていても、しっかり真実が見えていたんだな。パイロットだけに地上にいる者には見えないことが、上空からはよく見えたのかな?

 その後リンドバーグはあらゆることでルーズベルトに妨害され、日記に「さまざまな意見を抱擁するのが民主主義のはずだが、この国の大統領は自分の意見にそぐわない者は排除するようだ」と怒りを込めて書いている。1944年には民間パイロットとして太平洋戦線に参加するが、6月のニューギニアでの米軍兵士の残酷な戦いぶりを批判している。「米兵は死者への尊厳を一切持たなくなったようだ。敵兵の勇気についても考慮しない。遺体の歯を足で蹴って金歯を取り出し土産にする。武器も食料も無く降伏しようとする日本兵を容赦なく射殺する。我々は果たして本当に文明国家を代表しているのだろうか」と。また捕虜を定期的に飛行機から突き落としておきながら、日本兵が玉砕したと虚偽の報告をしたオーストラリア兵達の集団行為を批判した。そしてこうした残虐な行為は日本人を「黄色い猿」と呼ぶ人種差別意識がもたらしたものだろうと言っている。また次のようにも言っている。「アメリカ人はドイツ人のユダヤ人に対する扱いを非難するが、アメリカ人も日本人に対して同じような扱いをしでかしたのだ」

 ルーズベルトが尊敬した理想家肌の大統領ウッドロー・ウィルソンは、第一次大戦後に14ヶ条の要求をした進歩的政治家として知られたが、こと黒人問題に関しては「地位向上させるべきではない」と発言するなど人種隔離政策の強い支持者だった。ルーズベルトはそのウィルソン政権の海軍次官補として海軍の人種隔離規則の明文化に尽力している。

 ウッドロー・ウィルソンは国際連盟で日本が提案した反人種差別法を拒否したり、アメリカの中央銀行を民間の銀行家たちに譲り渡してしまった史上最悪の暗愚大統領だ。そんなバカをルーズベルトが尊敬していたとは、流石に類は友を呼ぶようだ。

 ルーズベルトは1939年に米連邦最高裁が盗聴を違法としたにもかかわらず、「スパイ活動あるいは破壊活動防止」を理由に盗聴を続けさせた。その対象は敵性国民に限らず政敵に対しても行われた。

 戦前戦後にかけて米政府内に200名にも上るソ連のスパイがいた。財務省次官ハリー・ホワイト、大統領補佐官ロークリン・カリーなどの高級官僚も含まれる。