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皇紀2685年(2025)6月

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「キリスト教 封印の世界史」ヘレン・エラーブ 1

 ローマ教皇は今日でも、その権威と至上権は「肉体を持つキリスト復活の最初の目撃者だった」第一の使徒ペテロに由来すると説くが、マルコ伝・ヨハネ伝にあるように最初の目撃者はマグダラのマリアであると説く派も多い。それらの中には、復活したのは肉体ではなく霊だとして、教会を通じなくても誰もが直接神に近づき、絆を深めることができると説く派もある。

 グノーシス(知識)派は次のように説く。教会ではなく自分を見つめ自分を知ることが神を知る道である。悲しみ・喜び・愛・憎しみの原因を追求すれば、自分の中に神を見出す。無知は恐怖・混乱・不安・疑惑・不和を生み出す。探究心が無知を追い払い救ってくれる。

 グノーシス派の考え方は日本神道と共通している部分が多いように思う。
 キリスト教会は民衆の魂を導くことよりも、服従させて金を集めることに夢中であった。そのために人の精神を支配しようとして、膨大な数の犠牲者を生み出した。
 十字軍の遠征も聖地エルサレムを取り戻すことより、教会の権威を高め、支配地域を広げ、権益を増大させることが主目的だったのではないか?
 カトリック教会の最終目標は全世界にキリスト教の教えを広めることであり、そのためには手段を選ばなかった。ローマに国教として認めてもらうためにキリスト教の文献を改竄したり、信者を増やすための入信基準の改訂、ローマの権力者への媚びへつらい、異教の優れた要素の取り込みなどを行った。コンスタンティヌス帝は弱体化した帝国に秩序と服従をもたらす道具としてキリスト教に魅力を感じ、国教にして教会に空前の特権を与えた。それまでのローマ帝国は信仰の自由を保証しており、皇帝も神を名乗っていたことからローマの神々を信仰することは帝国への忠誠であると考えられ、ヤハウェを唯一絶対神とするキリスト教は嫌われていた。因みにコンスタンティヌス帝は息子を処刑し、妻を釜茹でにした人物である。
 まさかとは思うがアメリカはトランプが大統領になったら、弱体化したアメリカを復活させ、ムスリムやテロリストを追い出すため、キリスト教を国教にするのではないだろうな。何かと言うとアメリカはローマ帝国を持ちだすから、脳裏の片隅にあるのではないだろうか?

 紀元180年、司教エイレナイオスは数多い福音書を編集・改竄して内容を統一し、初めて今日の新約聖書に近いものを作った。しかし改竄したことが後に大きな弊害をもたらした。

 実はイエスを殺したのはユダヤ人ではなくローマであった。キリスト教会はイエスの死の責任をローマ人ではなくユダヤ人のせいにし、イエスのローマ帝国に対する反政府運動をもみ消した。ユダヤ人は祖国を奪ったローマを憎悪しており、ユダヤ人であるイエスはローマに税を納めてはならないと命令していたのである。磔刑はローマが扇動家を罰する時の方法だったし、十字架はローマの占領に抵抗したユダヤ人の証であった。キリスト教会にすれば、イエスの死の責任をユダヤ人のせいにしてしまえば、キリスト教と政治的反乱の関連をうやむやにできて都合が良かったのだ。

 教会は自分達の大切な教義であっても、民衆受けしないものは平気で否定した。

 唯一至高神への信仰はすべてに優劣をつけるヒエラルキーを生んだ。

 ローマ帝国は異民族の侵入で衰退し、6世紀のペスト流行で滅んだ。ペストはこの時ヨーロッパ人口の1/3(約1億人)を奪った。因みに14世紀のペスト流行では約2700万人死亡。その後も17~8世紀頃まで何度か流行している。

 アメリカもローマ帝国と同様に異民族の大量移民で衰退し、新種ウイルスのアウトブレイクで滅びるか?

 ペストの流行は教会の権威を高めた。教会は学術研究を禁止したため自然科学・技術は廃れてしまった。紀元前6世紀にはピタゴラスが地動説を唱えていたし、前3世紀にはアリスタルコスが太陽中心説を唱え、エラトステネスが地球の大きさを測定していた。しかしそれらはすっかり忘れ去られ、16世紀にコペルニクスが再び地動説を唱え、17世紀にガリレオが再び太陽中心説を唱えた。因みにガリレオの有罪が取り消されたのは1965年のことである。

 人類の歴史は高々5000年というのは嘘で、20世紀以降の考古学の研究により実際は紀元前7000年~4000年には驚くほど高度な文明が栄えていたことがわかった。民主制度も既にあって、ヒエラルキーも戦争も奴隷制度もなかった。キリスト教が人類社会を向上させてきたというのは明らかな嘘である。

 むしろキリスト教は異教徒間戦争を生み、異教徒ホロコーストを生み、異教徒奴隷を生んだ。それらによって異教徒間に憎悪を生み、復讐の連鎖を生んだ。諸悪の根源だ。
 教会は莫大な書物を焚書した。391年アレクサンドリア図書館の70万巻にものぼる蔵書が焼き払われ、古代の貴重なパピルスの巻物なども失われた。学問所が閉鎖され、一般人は学問をする機会を奪われ、聖書を読むことさえ禁止された。それはルネサンス時代に裕福な商人が自ら学校を建てるまで続いた。
 マルキストのグラムシが文化革命を考えた時、キリスト教が最も共産革命の障害になっていると確信し、キリスト教を破壊しようとしたのも当然だ。
 教会は商業を禁じた。利子を取って金を貸すことも非難したため、ヨーロッパの経済は破綻した。しかし教会自身は巨万の富を得ており、教皇の地位をめぐって金が動き、殺人も後を絶たなかった。教皇は100年間で40人以上も交替した。
 キリスト教会はマフィアのようなものだ。キリスト教徒は配下のギャング。そのギャングたちは世界中で歯向かう者を殺害し、世界中の民を皆キリスト教徒にしようとしている。キリスト教ファシズムである。

 十字軍の遠征は約200年間続いた。

 テンプル騎士団は当初十字軍の護衛として結成されたが、やがて政治力を持つようになり、信頼できる新手の金融組織となった。そこで彼らに脅威を感じた教会と王は、偽りの汚名を着せて弾圧した。

 異端審問(宗教裁判)は教会法(カノン)を基に、市民を脅して従わせるため数世紀に渡って行われた。それは宣教師の伝道と共に広まったので、世界中で無数の命を奪ったのみならず、奴隷制度も広まった。そして「疑わしきは罰せず」のはずが、いつのまにか「疑わしきは罰せよ」に変わり、必ず有罪になった。

 ここまで読んでくるとキリスト教と共産主義の類似性に気付く。唯一絶対神に忠誠を誓わせ、異教を否定し、科学技術を否定し、商業を否定し、金融も否定し、経済を破綻させておきながら、教会だけが巨万の富を得た。そして教皇の地位を争って陰謀が渦巻いた。教会を脅かす勢力が現れると謀略を仕掛けて弾圧した。異端審問で市民を脅し、恐怖政治を行った。何もかもソ連や中国の共産主義とそっくりだ。

 コロンブスは異教徒を聖なる信仰に改宗させると称し、従わなかった先住民を殺し、あるいは奴隷にした。また同じ理屈で女を強姦した。コロンブス自身の言葉によれば、女を激しく鞭打った後で快楽を味わったという。そして異端審問も開始され、更に大勢の先住民が火あぶりの刑で殺された。

 キリスト教会はヨーロッパ諸国の世界侵略に大義名分を与えた。殺人・暴行・略奪を神の名において許したのである。

 キリスト教徒は狂っている。やはり悪魔の宗教であり、破壊教であり、キリスト教徒こそがサタンである。被害者となった南米先住民族が哀れで胸が打ち震える思いだ。

 キリスト教会(カトリック)に対抗してルターが宗教改革に火を点けた。そして教会側も独自に反宗教改革を行い、新しくカノンを定めた。しかし両者は対立した。プロテスタントは聖書中心主義を唱え、その頃発明された印刷機が聖書の普及を支えた。彼らは旧約聖書の厳しい教えを重んじるようになり、信仰は困ったときの神頼みではなく、もっと神の絶対的な意志にすがり服従するという姿勢を持たなければならないとした。そして教会は必要がなく、聖書の言葉を通して神と強い絆を結ぶべきであるとした。キリスト教会は聖人崇拝などの行き過ぎを多少反省したものの、聖書の権威は教会が決定するものであるとした。

 プロテスタントも人間に優劣があるとするところは教会と同じだった。ルターはユダヤ人に対しては奴隷にするか追放しろと言った。

やがてプロテスタントは様々な宗派に分裂し、互いを罵り合うようになる。

 プロテスタントは教会の組織力に対抗するため、国家が個人の道徳を取り締まるという方法を考え出した。目指したのは敬虔な国家作りである。そしてヒエラルキーの縮図として家父長制度を重要視した。

 ヨーロッパ中世においては互いに助け合うことは当たり前とされていたが、宗教改革の時代になるとそんな精神は吹き飛んでしまった。教会もプロテスタントも地域共同体は邪魔だと考えていた。その方が個人を操りやすいからである。そのため以前はみんなの前で行っていた告解(懺悔)儀式も、小さな懺悔室の中で司祭だけを相手に行うようになった。

 教会もプロテスタントも協調性より神の命令に従うことの方が大切だと考えていた。中世の道徳の中心だった「七つの大罪」は「十戒」に取って代わった。「自惚れ・妬み・怒り・貪欲・大食・怠惰・色欲」より「父母を敬え」が最も大切になった。協調性よりも権威に逆らうことが最大の罪とされるようになった。

 キリスト教は共産主義思想と何ら変わらない。共産主義は神の存在も宗教も否定し、共産主義思想のみを真理として信仰するよう強要するが、キリスト教も多神教を否定し自分達の説く唯一絶対神のみを信仰するように強要する。

 教会もプロテスタントも禁欲生活を説き、肉体は邪悪なものだとした。そのためあるイエズス会士は入浴を絶てといった(ヨーロッパに近世まで入浴の習慣がなかったのはこの教えのせいかもしれない)。キリスト教の歴史はセックスに対する非難で満ち溢れている。禁欲生活を称える有名な言葉として「地獄に落とされるよりも鞭打たれる方がまし」というのがある。

 宗教改革の時代には、真のキリスト教徒は苦痛を背負わねばならず、それが真のキリスト教徒の証であるとされた。神は人間に勤労と苦しみを求めているので、人間は額に汗して糧を得なければならないとされた。

 神が存在するなら悪魔も確かに存在するし、悪魔が存在するなら神が存在する。これほど確かな証拠はない。宗教改革者は人々に悪魔を信じさせて無力感を植え付け、意のままに操ろうとした。すべて悪魔のせいにしてしまうことで人間は責任を負わなくて済むが、責任を負う力まで失ってしまう。人間は自分に責任があると思えばこそ力を発揮するものだからだ。

 宗教改革とカトリックの反宗教改革によって、ヨーロッパ人は魔術信仰から解放され、信仰は試練・苦行・懲罰を受け入れることによりいっそう高められるとして、正統派教会の教えを心から信じるようになった。

 ヨーロッパから魔術信仰を葬り去ったのは15~18世紀に行われた魔女狩りだった。教会は常に女を侮辱してきた。イヴは禁断の木の封印を破って神の掟に最初に背いた者であり、男をたぶらかし破滅させる者であり、信仰の邪魔をする者であるから、すべての罪の責任は女にあると考えていた。そのため宗教改革後はマリア崇拝を一切禁止するようになった。

 魔女狩りと文化大革命は似ている。鋼鉄の処女という刑具があるが、あれはマリア崇拝禁止の後に、その禁を破った者を処罰するために作られたように思う。また女を嫌うのは聖職者にゲイが多かったせいかもしれない。今でも多いから。
 古代では日常からかけ離れた天上に神が存在するのではなく、そこら中に存在すると考える多神教であった。こうした信仰はヒエラルキーのない平和な社会に見られ、家母長制も家父長制もなく、性別・人種・階級差別もなかった。これは恐れさせて統治するという手段を用いなくても、平和に暮らしてゆけることを証明していたが、正統派教会は不可能だと言い続けてきた。
 この多神教信仰の暮らしこそ、日本の神道に基づく暮らしである。恐れさせて統治するという手段を用いなくても、平和に暮らしてゆけることを証明している。