「キリスト教 封印の世界史」ヘレン・エラーブ 1
ローマ教皇は今日でも、その権威と至上権は「肉体を持つキリスト復活の最初の目撃者だった」第一の使徒ペテロに由来すると説くが、マルコ伝・ヨハネ伝にあるように最初の目撃者はマグダラのマリアであると説く派も多い。それらの中には、復活したのは肉体ではなく霊だとして、教会を通じなくても誰もが直接神に近づき、絆を深めることができると説く派もある。
グノーシス(知識)派は次のように説く。教会ではなく自分を見つめ自分を知ることが神を知る道である。悲しみ・喜び・愛・憎しみの原因を追求すれば、自分の中に神を見出す。無知は恐怖・混乱・不安・疑惑・不和を生み出す。探究心が無知を追い払い救ってくれる。
紀元180年、司教エイレナイオスは数多い福音書を編集・改竄して内容を統一し、初めて今日の新約聖書に近いものを作った。しかし改竄したことが後に大きな弊害をもたらした。
実はイエスを殺したのはユダヤ人ではなくローマであった。キリスト教会はイエスの死の責任をローマ人ではなくユダヤ人のせいにし、イエスのローマ帝国に対する反政府運動をもみ消した。ユダヤ人は祖国を奪ったローマを憎悪しており、ユダヤ人であるイエスはローマに税を納めてはならないと命令していたのである。磔刑はローマが扇動家を罰する時の方法だったし、十字架はローマの占領に抵抗したユダヤ人の証であった。キリスト教会にすれば、イエスの死の責任をユダヤ人のせいにしてしまえば、キリスト教と政治的反乱の関連をうやむやにできて都合が良かったのだ。
教会は自分達の大切な教義であっても、民衆受けしないものは平気で否定した。
唯一至高神への信仰はすべてに優劣をつけるヒエラルキーを生んだ。
ローマ帝国は異民族の侵入で衰退し、6世紀のペスト流行で滅んだ。ペストはこの時ヨーロッパ人口の1/3(約1億人)を奪った。因みに14世紀のペスト流行では約2700万人死亡。その後も17~8世紀頃まで何度か流行している。
ペストの流行は教会の権威を高めた。教会は学術研究を禁止したため自然科学・技術は廃れてしまった。紀元前6世紀にはピタゴラスが地動説を唱えていたし、前3世紀にはアリスタルコスが太陽中心説を唱え、エラトステネスが地球の大きさを測定していた。しかしそれらはすっかり忘れ去られ、16世紀にコペルニクスが再び地動説を唱え、17世紀にガリレオが再び太陽中心説を唱えた。因みにガリレオの有罪が取り消されたのは1965年のことである。
人類の歴史は高々5000年というのは嘘で、20世紀以降の考古学の研究により実際は紀元前7000年~4000年には驚くほど高度な文明が栄えていたことがわかった。民主制度も既にあって、ヒエラルキーも戦争も奴隷制度もなかった。キリスト教が人類社会を向上させてきたというのは明らかな嘘である。
十字軍の遠征は約200年間続いた。
テンプル騎士団は当初十字軍の護衛として結成されたが、やがて政治力を持つようになり、信頼できる新手の金融組織となった。そこで彼らに脅威を感じた教会と王は、偽りの汚名を着せて弾圧した。
異端審問(宗教裁判)は教会法(カノン)を基に、市民を脅して従わせるため数世紀に渡って行われた。それは宣教師の伝道と共に広まったので、世界中で無数の命を奪ったのみならず、奴隷制度も広まった。そして「疑わしきは罰せず」のはずが、いつのまにか「疑わしきは罰せよ」に変わり、必ず有罪になった。
コロンブスは異教徒を聖なる信仰に改宗させると称し、従わなかった先住民を殺し、あるいは奴隷にした。また同じ理屈で女を強姦した。コロンブス自身の言葉によれば、女を激しく鞭打った後で快楽を味わったという。そして異端審問も開始され、更に大勢の先住民が火あぶりの刑で殺された。
キリスト教会はヨーロッパ諸国の世界侵略に大義名分を与えた。殺人・暴行・略奪を神の名において許したのである。
キリスト教会(カトリック)に対抗してルターが宗教改革に火を点けた。そして教会側も独自に反宗教改革を行い、新しくカノンを定めた。しかし両者は対立した。プロテスタントは聖書中心主義を唱え、その頃発明された印刷機が聖書の普及を支えた。彼らは旧約聖書の厳しい教えを重んじるようになり、信仰は困ったときの神頼みではなく、もっと神の絶対的な意志にすがり服従するという姿勢を持たなければならないとした。そして教会は必要がなく、聖書の言葉を通して神と強い絆を結ぶべきであるとした。キリスト教会は聖人崇拝などの行き過ぎを多少反省したものの、聖書の権威は教会が決定するものであるとした。
プロテスタントも人間に優劣があるとするところは教会と同じだった。ルターはユダヤ人に対しては奴隷にするか追放しろと言った。
やがてプロテスタントは様々な宗派に分裂し、互いを罵り合うようになる。
プロテスタントは教会の組織力に対抗するため、国家が個人の道徳を取り締まるという方法を考え出した。目指したのは敬虔な国家作りである。そしてヒエラルキーの縮図として家父長制度を重要視した。
ヨーロッパ中世においては互いに助け合うことは当たり前とされていたが、宗教改革の時代になるとそんな精神は吹き飛んでしまった。教会もプロテスタントも地域共同体は邪魔だと考えていた。その方が個人を操りやすいからである。そのため以前はみんなの前で行っていた告解(懺悔)儀式も、小さな懺悔室の中で司祭だけを相手に行うようになった。
教会もプロテスタントも協調性より神の命令に従うことの方が大切だと考えていた。中世の道徳の中心だった「七つの大罪」は「十戒」に取って代わった。「自惚れ・妬み・怒り・貪欲・大食・怠惰・色欲」より「父母を敬え」が最も大切になった。協調性よりも権威に逆らうことが最大の罪とされるようになった。
教会もプロテスタントも禁欲生活を説き、肉体は邪悪なものだとした。そのためあるイエズス会士は入浴を絶てといった(ヨーロッパに近世まで入浴の習慣がなかったのはこの教えのせいかもしれない)。キリスト教の歴史はセックスに対する非難で満ち溢れている。禁欲生活を称える有名な言葉として「地獄に落とされるよりも鞭打たれる方がまし」というのがある。
宗教改革の時代には、真のキリスト教徒は苦痛を背負わねばならず、それが真のキリスト教徒の証であるとされた。神は人間に勤労と苦しみを求めているので、人間は額に汗して糧を得なければならないとされた。
神が存在するなら悪魔も確かに存在するし、悪魔が存在するなら神が存在する。これほど確かな証拠はない。宗教改革者は人々に悪魔を信じさせて無力感を植え付け、意のままに操ろうとした。すべて悪魔のせいにしてしまうことで人間は責任を負わなくて済むが、責任を負う力まで失ってしまう。人間は自分に責任があると思えばこそ力を発揮するものだからだ。
宗教改革とカトリックの反宗教改革によって、ヨーロッパ人は魔術信仰から解放され、信仰は試練・苦行・懲罰を受け入れることによりいっそう高められるとして、正統派教会の教えを心から信じるようになった。
ヨーロッパから魔術信仰を葬り去ったのは15~18世紀に行われた魔女狩りだった。教会は常に女を侮辱してきた。イヴは禁断の木の封印を破って神の掟に最初に背いた者であり、男をたぶらかし破滅させる者であり、信仰の邪魔をする者であるから、すべての罪の責任は女にあると考えていた。そのため宗教改革後はマリア崇拝を一切禁止するようになった。