自主憲法制定
占領政策によって失われたものを取り戻すためには、先ず自主憲法制定が必要です。具体的には次の3通りの方法があります。
- 現行憲法を破棄し、自主憲法を制定する。
- 現行憲法を破棄し、自主憲法である明治憲法を一旦復活させた上で即改正する。
- 現行憲法を改正する。
ただし3.の場合、どのように改正しようとも占領憲法を基にしている限り自主憲法にはなりません。ですから1.あるいは2.しかありません。より現実的なのは2.でしょう。
大東亜戦争は正義の戦争
大東亜戦争は支那事変・日米戦争・アジアの解放・日ソ戦争から成ります。そして大東亜戦争には敗北したものの、日本にとっては欧米帝国主義諸国の侵略からアジア諸国を解放した正義の戦争でした。これが大東亜戦争を総括する、断絶された日本の戦前・戦後をつなぐ正しい歴史観です。我々はこの歴史観をしっかり受け継がなければなりません。
大東亜戦争は文明の衝突であった
大東亜戦争は傲慢極まりない一神教のキリスト教文明、一神教的唯物論の共産主義文明、利己的な自己中心主義のシナ文明(儒教文明などではありません)と、寛容と共生を旨とする汎神論的日本文明との文明の衝突でした。
大東亜戦争の意義について考えること
日本人として未だ真摯に顧みられたことのない大東亜戦争の意義について考えることは、英霊と犠牲者の方々に対する礼儀であり、また子孫にそれらを伝えることは重大な義務であると思います。
清朝は眠れる豚だった
かつての清朝は「眠れる獅子」と呼ばれていましたが、実際は「眠れる豚」でした。日本は現代の「眠れる獅子」です。しかしこのまま眠り続けたら間違いなく「眠れる豚」になってしまうでしょう。
伝統的価値観の復活
日本の伝統的価値観は戦後抑圧されてきましたが、地下水脈のように脈々と流れ続け、今その水圧が高まり表面に湧き出そうとしているように思います。戦後80年経ってようやく東京裁判史観の呪縛と洗脳から覚醒し始めているのです。そろそろ旧家の人々の出番が近付いてきていると感じます。
日本人の国民性
現在、世界の人々から称賛されている日本人の国民性は何によって育まれたのでしょうか? 武士道を取り上げる論者もいらっしゃいますが、それは民族精神の根源ではなく、それを育んだ根源にまで遡らなければならないと思います。そして、それは日本人が生まれながらに身に着けている神道に対する信仰だと思うのです。そこから日本独自の伝統文化が育まれ、それを色濃く受け継いでいるのが旧家の人々だと思います。
対立闘争から互譲互助へ
戦後の占領政策によって対立闘争の思想が植え付けられ、「和をもって貴し」とする国民性は一旦失われかけましたが、日本人の心の奥深く、その国民性は再び芽吹きつつあると思います。権利思想に根差す対立闘争の行き詰まりを、「互譲互助」という和の精神によって解決する時代に入ったと思います。
対立闘争と互譲互助
資本主義・社会主義・共産主義は要するに分配論であり、そのために対立闘争をしていますが、平和福祉の道は自己主張ではなく他者尊重であり、対立闘争ではなく相互尊重でなければなりません。マルクスは根本を「物」に置き「対立闘争」で実現しようとしますが、和の精神は根本を「人」に置き「互譲互助」で実現しようとします。対立闘争と和の精神の違いは、対立闘争は即自由競争であり、自由競争は進歩の母であると考えています。しかし和の精神では相手を滅ぼす対立闘争は排斥しつつ、自由競争は進歩の母として歓迎します。つまり相互の進歩発達を図るのであって、愛と和の精神の発揮です。
和を尊ぶ社会では一人ひとりが強くなければならない
対立闘争の社会では一人ひとりは弱い方が都合が良いのですが、和を尊び仲良くする社会では一人ひとりが強く立派でなければ成り立ちません。
日本の経営思想
一般的に外国の経営は自分の利益のために他人を使役し搾取します。だから役立たない者をすぐに解雇します。そのため従業員は組合を作り、経営者と対立するようになります。しかし本来の日本の経営は他人を育てるために使役します。日本の皇室も人を育てようとしますが、外国の皇帝や王は人を征服・搾取しようとします。
日本の家族主義
日本の家族主義は世界に誇るべきものです。家族の中に中心があって皆が愛情と信頼で繋がっています。これが和の精神の要であり、その現れが家族主義、日本国、無防備の皇室、無防備の国民なのです。反対に皆が愛情と信頼で繋がっていなければ、人を信頼しないため個人主義になり権利思想に走ります。それが征服・対立闘争につながるのです。
本当に憐れむべき者たち
大東亜戦争で国のために死んでいった日本人たちは英雄です。日本のために命を犠牲にして貢献してくれた人々です。そのお陰で日本の国体は守られ、戦後大いに発展したのです。ですから単なる犠牲者と片付けることは無礼であり非礼です。本当に憐れむべき者たちとは、戦後アメリカの片棒を担いで日本の平和のためにと言いながら偽善行為に耽っている連中であり、またアメリカの平和洗脳教育を受けながらそれに気付いていない愚かな連中(デュープスと呼ばれる)です。
戦後日本は戦勝国と共に戦前日本を批判
戦後の日本は国連という戦勝国連合の一員となり、戦勝国と共に戦前の大日本帝国を悪しき敵国とみなして批判してきましたが、これは恥知らずというものです。
軍国主義を美化する言葉は日常生活においては美徳
軍国主義を美化する言葉として攻撃される「忠誠・愛国・恩・義務・責任・道徳・躾」等は、すべてが日常生活においては美徳を表す言葉であり、日本の世界に誇るべき伝統文化そのものです。それを否定することなど出来ません。
アメリカ民主主義・ソ連共産主義の実験後は
アメリカ民主主義は所詮建国200年程度の浅知恵で作られたものであり、アメリカという大実験場で試されているものです。そしてソ連共産主義という大実験が失敗に終わって久しい今、アメリカ民主主義の大実験も失敗に終わろうとしています。そうなると、その後の世界を席巻するのは何でしょうか? ひょっとしたら和の精神に基づく日本の伝統的民主主義かもしれませんね。
国民が潜在的に求めているもの
これから日本の指導者になる者は、国民が潜在的に求めているものにひれ伏し、国民はその指導者にひれ伏します。そして国民が潜在的に求めているものとは伝統文化への原点回帰だと思います。
今日の危機を救える者たち
今日の危機を救う力は既存政党にはありません。田舎の素質の良い旧家の青年と人々が最後の頼りです。日本人の純潔の血は日本人らしく行動せよと囁きます。敗戦によってこっぴどく打ち負かされ、外国化された政治・教育・言論は青年を満足させません。青年は日本の伝統的思想を欲しがっています。これからは地方の誇り高き旧家の人々の出番です。既存の政治家をあてにせず、祖先からの血の囁きを聞き、先導して道を切り開いて行ってほしい。
米国化の危険性を知る
戦後、日本人の心の中に組み込まれた米国的なものへの憧れと従順、政治・社会構造の米国化がいかに誤りであり、危険なものであるかを知らなければなりません。
今アメリカは衰退しつつあり、世界中から基地を撤収し、弱くなった軍事プレゼンスのせいでドルが石油決済に使われなくなって価値の裏付けを失い、ドルの信用が落ちてゆきます。すると世界は金本位制に戻り、金(ゴールド)をたくさん保有していて強力な軍事力を持つ国の通貨が信用され、新たな基軸通貨になり得ます。すでにドイツやBRICSの中国、ロシア等は金をかき集めており、おそらくBRICSは共通の通貨を発行してそれをドルに替わる基軸通貨にしようとするのではないでしょうか? よって日本もアメリカ国債なんかさっさと売り払って金に替え、円の信用を支えると同時に国防力を高めてBRICSに対抗しなければならないと思います。それは日本がアメリカのドル体制から抜け出し自立するチャンスでもあります。
日本人は先人の正しさと犠牲を思い出せ
日本人は半世紀前の父兄たちの正しさと、そのために払った犠牲を忘れさせられています。取り戻さなければなりません。
アメリカのメディアが左翼である理由
第二次世界大戦の結果、シオニズム(イスラエル再建)と共産主義は大いに利益を得ました。そしてそれらの利益の一部はアメリカに流れ込み、出版・ラジオ・テレビ会社の買収に使われました。米財務長官がソ連にこっそり与えたドル原版で印刷された幽霊ドル(偽札ではない)が使われたことは言うまでもありません。だからアメリカのメディアはユダヤ人と左翼が牛耳っているのです。
起業家の減少
かつて日本人には勤王思想という行動的禁欲を要する行動様式がありましたが、現代日本には利己心があるだけで熱烈な信仰もなく高い理想もありません。そのため革新とベンチャーの出現を阻止しています。今求められる人物とは、先見性と独創性、決断力と実行力に溢れ、目的達成のためにはいかなる努力をも厭わない者です。イノベーター(起業家)が出現しなくなったら資本家は滅び、それに依存していた政治家も滅び、資本主義社会は滅びます。
フランクフルト学派の批判理論
共産主義フランクフルト学派の批判理論は、国家を持たないユダヤ民族の生き残りをかけたイデオロギー戦争の手段です。しかしその批判理論はそのまま反撃の手段にも使えます。
グローバリズムは全人類をユダヤ人化させる
グローバリズムは世界の人々を無国籍化させ、伝統文化とそれに基づく倫理観を失い、唯物主義者にしてしまいます。それは長い間差別に苦しんできたユダヤ人を狂喜させるでしょう。なぜならみんなユダヤ人と同じになるからです。
日本人の団結力や単一性
国際銀行家勢力やグローバリスト達にとって日本人の持つ団結力や単一性はコントロールする上でとても障害になります。ですから団結力や単一性をもっと高めましょう。そのためには先ず伝統的価値観をもっと高めるのです。それを主導できる人たちこそ旧家の人々です。
