ユダヤ人とは一体何なのか?
Yahoo! ニュースの記事からです。今も昔もユダヤ人の存在は国際的諸問題の根源です。それ故ユダヤ人が何者で、どのように生まれ、何を目指しているのか、それを知ることは重要です。そのためユダヤ人の歴史を辿ってみます。
■ユダヤ人とは?
中世以来の定義によれば、ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた者、もしくはユダヤ教への改宗者です。これはどの民族にも通じることですが、ユダヤ人は自らのアイデンティティーを保持しながら生き残るために努力します。それはユダヤ人が神と契約を結び、神に選ばれた民として生きることにより、「神の意志」を地上に実現することを自らの使命と捉えた時以来、ユダヤ人が自らに課してきた定めだと言えます。ではその神の意志とは何なのでしょうか?
■神と交わした契約とは?
ユダヤ人の信じる『ヘブライ語聖書』によれば、神は最初の人間アダムを創造してこれを「祝福」しました。祝福とは繁栄や幸福などを引き起こすために発せられる神の言葉です。
しかしアダムは「悪への衝動」に負けて神に背いてしまいます。そこで神はアダムの子孫のアブラハム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で「信仰の父」とされる)という人物に目を留めます。
アブラハムはユダヤ人を含むイスラエルの民の祖先です。紀元前18世紀頃、神によって召命され(選ばれ)、神の示す地へ移住することを命ぜられました。
神は彼と契約を結び、彼を祝福してその子孫を大いに増やすこと、彼とその子孫に永久にカナンの地(現在のイスラエルとパレスチナ)を与えること、そして彼とその子孫を通して全人類を祝福することを約束しました。
神はアブラハムの息子のイサク、孫のヤコブとの間にも同様の契約を結びました。ヤコブは、後にイスラエルと名前を変え、その12人の息子たちはイスラエル12部族の祖となりました。そして現在のユダヤ人を構成しているのは、そのうちのユダ族、ベンヤミン族、レビ族です。
ヤコブと共にエジプトに移住したイスラエルの民は、その後400年にわたって奴隷となっていましたが、紀元前13世紀頃、預言者モーゼが神によって召命され、イスラエルの民をエジプトの圧政から解放し、シナイの荒野へと導きました。そこで神はモーゼに十戒をはじめとする律法を授けました。
古代イスラエルの宗教の系譜を引くユダヤ教は、超越的な神がこの世界の人間たちに対して現れる現象、すなわち啓示を基盤とする宗教です。そしてユダヤ教では啓示が「法」として理解され、モーゼが荒野で授けられたとされる律法がその啓示となります。
聖書の記述によれば、荒野で40年間の時を過ごしたイスラエルの民は、その間に律法に則した生活を送りました。
モーゼの没後、後継者ヨシュアの下でカナンへと侵入したイスラエルの民は、カリスマ的指導者である士師たちに従ってカナンの地の征服を進め、王国を築きました。第2代王のダビデはエブス(エルサレム)を攻略し、そこを首都としてカナンの全てを統治しました。
彼の下でイスラエルの民に対する神の約束が成就しました。次の王ソロモンは、モーゼが神から授かった十戒の石板を納めた「契約の箱(アーク)」を安置する壮麗な神殿をエルサレムに建設し、その治世下でイスラエル王国は繁栄を極めました。
しかしソロモン王の死後、王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、イスラエル王国はアッシリアによって、ユダ王国は新バビロニアによって滅ぼされました。この時神殿もエルサレムも破壊され、上層の人々はバビロニアに連行されました(バビロン捕囚)。
彼らは故国滅亡の原因を軍事力の強弱ではなく、唯一神に対する信仰の問題と捉えたため、彼らは異邦人の地において、食物規定、安息日、割礼の遵守など独自の規定を厳守することにより、自らを移住地の社会から切り離し、選民イスラエルとしてのアイデンティティーの維持に努めました。
やがて新バビロニアを滅ぼしたペルシア帝国のキュロス王により故地カナンへの帰還が許され、カナンに帰還した民によりエルサレムの神殿が再建されました。もっともバビロンおよびその周辺にとどまった者も少なくありませんでした。
その後、祭司エズラによるトーラー(律法)の朗読がなされ、ユダの民の悔い改めが行われました。後にペルシア帝国はアレクサンダー大王によって滅ぼされ、その支配の下でユダの民はヘレニズム文化と対峙して自らを「ユダヤ人」として強く自覚するようになりました。
ユダヤの地を支配したギリシャ系王朝であるセレウコス朝がユダヤ人にヘレニズム文化を強制(偶像崇拝)したため、ユダヤ人は反乱を起こして独立を勝ち取りました。
■なぜユダヤ人は離散したのか?
紀元前64年にはローマがセレウコス朝を滅ぼし、やがてユダヤはローマの属州とされてユダヤの民は圧政下に置かれました。
こうした状況において、古くからその出現が期待されていた理想の王であるメシア(油を注がれた者=救世主)の到来が強く待ち望まれ、この頃登場したナザレのイエスこそメシアであると見なす人々は、後にユダヤ人とは袂を分かってゆきます。
紀元66年にはユダヤ人迫害を機に第1次ユダヤ戦争(対ローマ戦争)が勃発し、70年にローマ軍によってエルサレムの第二神殿が破壊されました。
この頃ヘブライ語聖書の正典化が進み、ラビ(教師と呼ばれる俗人の律法学者)の称号を持つ賢者が台頭し、ユダヤ教は祭政一致から離脱して口伝律法(くでんりっぽう)の整備と祈りや学習の場所としてのシナゴーグ(礼拝・集会所)の利用が顕著になりました。
一方ローマに対する不満から、132年ついに第2次ユダヤ戦争が勃発し、反乱鎮圧後にエルサレムはユダヤ人の出入りが禁止された。こうしてユダヤ人は本格的に世界中へと離散しました(ディアスポラ)。
■共同体を維持できた理由は?
神殿を失った離散のユダヤ社会では、200年頃、ダビデ王の子孫でユダヤ社会の指導者でもあったラビ・ユダ・ハナスィが生活原理の規範となる口伝律法であるミシュナを編纂しました。
これを下にラビたちの法解釈が連綿と積み重ねられ、やがて4世紀末および5世紀末にそれぞれ口伝律法のパレスチナ・タルムード、バビロニア・タルムードが結集されました。
こうして、ユダヤ社会はかつての神殿祭祀を脱し、ラビたちの指導による聖書(成文律法)やタルムード(口伝律法)の研究解釈を中心とするものへと変質してゆきました。
このため、中世を経て近代に至るまでのユダヤ教はラビ・ユダヤ教と称されます。ラビ・ユダヤ教の特徴は、2つのトーラー(律法)という信念です。
すなわち神の意志は、成文トーラー(ヘブライ語聖書)と口伝トーラーによって二重にモーゼに啓示されたとされ、成文トーラーに拘束されながらも、口伝トーラーによってそれを柔軟に解釈することで、環境の異なる新しい事態にも対処できるようにしました。
ディアスポラのユダヤ人は、キリスト教国家やイスラム国家において、寄留民として独自の共同体を形成し、ユダヤの律法と宗教的伝統を守り抜くことにより、移住地の社会に溶け込まず、民族としてのアイデンティティーを保ち続けました。このことが、各地でユダヤ人が偏見と迫害にさらされる大きな要因の1つとなりました。
そのユダヤのアイデンティティーを維持するため、ユダヤ社会に不可欠な制度が既に古代からラビたちによって明確に意識され定義されていました。タルムードによれば、それは賢者の子弟が住む社会に必要な10の条件とされています。
それは、①ベート・ディーン(3人で構成される法廷)、②慈善のための基金、③ベート・クネセト(シナゴーグ・ユダヤ人会堂)、④公衆浴場、⑤公衆便所、⑥医師、⑦外科医、⑧書記、⑨資格を有する家畜屠殺人、⑩子供の教師、です。
各地のこうした共同体から成り立つユダヤ社会のユダヤ人は、ササン朝ペルシアや旧ローマ帝国領内などで農業や商業を営んでいましたが、7世紀以降両帝国の版図の大半がイスラム勢力によって征服されました。そのため当時世界のユダヤ人口の90%以上がイスラム世界に居住することとなりました。
広大なイスラム世界では、非ムスリムはイスラム法の優越を認め、人頭税と土地税を支払えば、生命・財産・信仰の自由と共同体ごとの自治が保証されました。
このためユダヤ人はイスラムによる支配を歓迎し、やがてその多くが離農して都市居住者となり、商業、手工業や金融業をはじめとするさまざまな職業に従事するようになりました。
イスラムは、宗教、宗派や民族などの違いを超えてそれぞれの長所を積極的に活用したため、ユダヤ人も大いに活躍してイスラム世界の繁栄に貢献しました。
ディアスポラのユダヤ社会がいかにして横のつながりを維持していたかについてはさまざまな要因が考えられますが、イスラム世界に関しては以下の通りです。
イラクとパレスチナ(ティベリア)に存在したユダヤ教学の学塾(イェシヴァ)の塾長(ガオン)の指導の下に、ラビたちが各地の共同体から寄せられる律法に関する問い合わせに対して、宗教規範に即した回答を与えていた。
その結果、それまでイラクやパレスチナの学塾の周辺のみで通用していたラビ・ユダヤ教のタルムードの伝統が遠隔地の共同体にまで次第に浸透してゆき、イラクやパレスチナを中心とした各地の共同体相互の交流や精神的絆が大いに促進された。
このことが各地のユダヤ人がさまざまな活動を行う際の強力なネットワークとして機能しました。
■ユダヤ人迫害の激化
一方ヨーロッパでは、特に11世紀末から始まった十字軍派遣頃から、『新約聖書』でキリストを裏切ったユダへの憎悪になぞらえる形で、異教徒討伐の名の下にユダヤ人迫害が激化し、ライン川流域のユダヤ共同体などが襲撃されました。
またこの頃からユダヤ人は全ての職業組合から排除されるようになり、キリスト教徒に禁止されていた金融業に従事するようになりました。ペストの流行や儀式殺人の疑いも迫害の原因となりました。
1492年にイスラム勢力を掃討してキリスト教による国土統一を果たしたスペインでは、ユダヤ人に対する追放令が発せられ、改宗か追放を迫られた。さらにイタリアでは、16世紀半ばにユダヤ人を集団隔離する居住区ゲットーが現れ、西欧各地に広まりました。
一方、主にドイツを中心とする西欧に居住していたユダヤ人は、迫害を逃れてポーランドなど東欧へ移住して繁栄したものの、17世紀半ばに幾度も迫害を受けました。
■ナポレオンによる解放
数々の差別・迫害を受けてきたユダヤ人でしたが、ユダヤ人自身による解放を模索する動きもありました。しかし、実際にユダヤ人解放の契機となったのは、フランス革命とナポレオンによるゲットーの解体に伴うユダヤ人解放と、市民権の付与、そしてその潮流の西欧各国への伝播でした。
こうして、西欧各地でユダヤ人の解放が進み、各界への進出が見られました。
しかし、これでユダヤ人差別が解消されたわけではありませんでした。ユダヤ人の各界への目覚ましい進出ぶりは、周囲の激しい妬みや反感を買い、19世紀後半になると西欧で民族主義が活発化し、反ユダヤ主義が台頭するようになりました。
またロシアでは、度重なるポグロム(ユダヤ人大虐殺)により多くのユダヤ人が犠牲になりました。
■シオニズム運動
そんな中、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人陸軍大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)を契機に、ユダヤ人はその故地シオンの丘に帰還して自らの国家を再建すべきであるというシオニズム運動が盛んになりました。
20世紀に入ると、ロシアで再びポグロムが発生し、多くのユダヤ人がアメリカへ移住しましたが、この時パレスチナに移住したシオニストが後にイスラエル建国の基礎を築きました。
第2次大戦では、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)により約600万人のユダヤ人の命が奪われるという大きな悲劇に見舞われました(2025年現在の研究では約200万人とされている)。度重なるポグロムやホロコーストに対抗する形でシオニズムが発展し、世界各地からパレスチナに多くのユダヤ人が移民しました。
1948年にパレスチナのユダヤ人たちはイスラエル国家の独立を宣言しました。ところが、これによりこの地域に居住していたアラブ人(パレスチナ人)が排除され、多くの社会的・政治的問題が生じました。
これ以降、イスラエル/パレスチナ問題は、今日に至るまで中東地域ひいては世界で最も解決が困難な問題の1つとなっています。
ユダヤ人はよく優秀な人物や大富豪を数多く輩出すると言われます。しかしその理由について説明することは極めて困難です。
■ユダヤ人はなぜ優秀なのか?
ユダヤ人はしばしば迫害や追放を受けたため、持ち運ぶのが可能なものは自分の頭にしまい込める知識や知恵であるとして、教育や学問を極めて尊ぶ精神や環境が大きく作用していることは間違いないでしょう。しかしここでは、ヘブライ語聖書に登場する1つのエピソードに的を絞って考えてみたいと思います。
「創世記」に登場するヤコブは、祝福を求めることに対して誰よりも貪欲でした。ヤコブは兄エサウから長子権を奪っただけでなく、父イサクをだましてその祝福をも得ました。
さらに彼は神と格闘し、これに勝利するや否や、神による祝福を求めました。そして神から祝福を授かっただけでなく、もはやヤコブではなく「イスラエル」と改名するようにと告げられました。「イスラエル」とは、「神と人(複数形)と争い、これを克服する者」を意味します。
ユダヤ人は主に知的領域において常に神と格闘し、ユダヤの神はこれに対し「よく付き合って」くださる。ヤコブと神と人々との格闘に象徴される精神活動を通して、ユダヤ人の知的活動は比類なき奥深さと独自性に至ります。
ヤコブは兄のエサウと和解し祝福を返しましたが、この「格闘」は現在のユダヤ人に引き継がれています。
問題は祝福としての「神の意志」の解釈です。ユダヤ人が祝福を利己のみと解釈すれば、世界に未来はないでしょう。しかし彼らが祝福を利己・利他的なものと捉えるならば、まだそこに希望は残っています。
ユダヤ人は2種類いる
ユダヤ人は2種類います。「ナショナリストユダヤ人」と「グローバリストユダヤ人」です。民族の悲願であるユダヤ人国家を取り戻そうとしているシオニストたちを「ナショナリストユダヤ人」と呼び、そもそも国家というものに幻想を持たず、祖国にも民族にも愛着を持たない人たちを「グローバリストユダヤ人」と呼びます。現在イスラエルに住んでいる人たちは「ナショナリストユダヤ人」であり、相変わらず世界中に分散して暮らしている人たちは「グローバリストユダヤ人」です。根本的に価値観の違う彼らは強烈に反目し合っています。激しい近親憎悪と言っても良いでしょう。
ディープステートとは?
2期目のトランプ大統領はアメリカを建国し直すと言っています。そのために所得税を廃止し、教育省を廃止すると言っています。建国当時のアメリカには所得税がありませんでしたし、教育省などと言うものもありませんでした。それらを作ったのは政治家ではなく、選挙で選ばれたわけでもない官僚たちが作ったのです。それをトランプはディープステートと呼び、官僚主義であると言ったのです。
では建国当時国家財政の収入源は何だったのかというと、それは100%関税でした。貿易相手国から高い関税を取り、豊かな国家財政を維持していました。ところが徐々に関税収入の比率は下がってゆき、1913年に初めて所得税が導入されました。ここで私はあの悪名高いFRB(連邦準備制度理事会)のことを思い出します。1913年というとFRBが設立された年なのです。ここに因果関係を感じませんか? 私はディープステートを操る国際金融資本家たちグローバリストが、マネーで国民を支配するために所得税を課し、FRBを設立したと思っています。
トランプ政権下、政府効率化省長官となるイーロン・マスクは「我々は民主主義ではなく、官僚主義に生きている。それは1月20日以降に変わる。」と言いました。2025年1月20日はトランプ大統領が就任する日です。
官僚主義が支配する社会では監視、プロパガンダ、検閲、永続的な戦争、毒食品、安全性検査なしのワクチン、永遠の増税が行われてきました。それをトランプは打ち倒し、民主主義を打ち立てると言いました。かつて初代大統領ジョージ・ワシントンがイギリスの支配から脱するために打ち立てた方針と同じです。当時のディープステートはイギリスでした。
ロバート・ケネディ・ジュニアも同じことを言っています。かれはディープステートのことをオリガーキー(独裁的政治体制)と呼んでいます。そしてオリガーキーを打ち倒すためには暗号通貨を発行することだと言っています。暗号通貨は通貨量を勝手に増やせないため、インフレに対する最良のヘッジとなり、FRBへの依存から抜け出せると言っています。
大衆の反逆
オルテガは20世紀を生きた有名なスペインの哲学者で思想家です。彼は現代は大衆が社会的中枢に躍り出たために、民主制が暴走することが危惧されると言いました。そしてリベラルを擁護しました。
彼が言うリベラルとは、「自分と異なる他者と共存しようとする冷静さ、あるいは寛容さ」といったものです。大衆が支配する時代においては、そうした姿勢が失われつつあるのではないかというのが、オルテガの指摘でした。
大衆という言葉が使われていますが、これは一般的にイメージされるような階級的な概念とはまったく異なります。オルテガはまた大衆の対極にある存在を貴族と呼んでいますが、これもお金をもっている人や、ブルジョア、エリートといった意味ではありません。過去から受け継がれてきた、生活に根付いた人間の知、あるいは自分と異なる他者に対して、イデオロギーを振りかざして闘うのではなく、対話し、共存しようとする我慢強さや寛容さ、そうした彼の考えるリベラリズムを身に付けている人こそが、オルテガにとっての貴族です。
オルテガはこうした貴族的精神が、大衆社会の中でどんどん失われていると考えていました。そして、そのことによって、民主制そのものが非常に危うい状況になっていると指摘したのです。
そしてこの問題を考えるときにオルテガが重視したのが「死者の存在」です。
私たちの社会には、過去の人々が失敗に基づく経験知を通じて構築してきたさまざまな英知があります。それによって私たちの行動や選択は一定の縛りを受けています。つまり、すでにこの世を去った「死者」たちの存在が、現代や未来に対する制約になっていると言うのです。
そのことを私たち人類は当然のこととして受け止めてきました。ところが現代の大衆は、その死者の存在をまったく無視して、いま生きている自分たちが何か特権的な階級であるかのように考えています。そして自分たちだけで何でも物事を決められるかのように勘違いしています。そうした時代は非常に暴走しやすいというのが、オルテガの抱いた危機感だったのです。これは今の日本で非常に大きな注目を集めている「立憲」という問題そのものだと思います。
民主主義と立憲主義は、元来どうしても相反するところのある概念です。民主主義とは、今を生きている人間の多数決によってさまざまなことが決定されるシステム。対して、たとえ今を生きる人間が決めたことでも、してはならないことがあるというのが、立憲というシステムなのです。いくら多数派に支持されようと、少数派を抑圧してはならないし、守られるべき人権を侵してはならない。それは「死者からの制約」があるからです。
そうした立憲主義の考え方を取り入れて、「死者と共に民主主義を行っていく」ことがいわば文明の英知だったはずなのに、近代はその英知を投げ捨てている。これは暴走にほかならないというのがオルテガの主張です。
彼がこうしたことを考えたのは、その生きた時代と密接な関係があります。オルテガが活躍したのはいまからおよそ百年前で、「大衆の反逆」が刊行されたのは1930年。これは、22年にイタリアでファシスト党が政権を取り、33年にドイツでナチスが政権に就く、そのちょうど合間にあたります。さらにその少し前、17年にはロシア革命が起こるなど、まさに革命とファシズムの時代と言うべき時期でした。
そのさなかにオルテガは現代的危機を感じたわけですが、ではその危機が現在の私たちにとって遠い昔の問題かと言えば、そうではありません。むしろ私たちが生きる今の方が、問題はより深刻で、かつ精細な形で蘇ってきています。オルテガが「20世紀が削ぎ落とそうとしているもの」として危惧したことが、私たちの時代にはより根深い形で押し寄せてきているのだと思います。
この20世紀前半の著作が、21世紀の私たちにとって非常にビビッドなものとして響いてきます。それは、私たちが民主主義の危機を感じ、オルテガが守ろうとしたリベラルという概念が崩壊しつつあることを感じているからではないでしょうか。オルテガの言う大衆は、いわばそのときを生きている人間のことしか考えない傲慢な精神の象徴だったわけですが、今また私たちはその大衆になろうとしているのではないでしょうか。
オルテガの言う貴族になれ
私たちは自身の利害から離れて堂々と意見を言える、反論もできる、オルテガの言う「貴族」になるべきではないでしょうか? ところが現在の大衆社会ではそういう気運がどんどん失われて、民主主義とは真逆の方向に向っているように感じます。
通貨とは
通貨とは、通貨そのものに価値があると説く商品貨幣論と、債務が価値を生み出すと説く信用貨幣論がありますが、実は通貨そのものに価値はありません。通貨はいくらでも無から作り出せるからです。銀行は金庫が空でも債務者に金利を付けて通貨を貸し出せます。債務者の口座に金額を書き込むだけで済むからです。つまり債務者が通貨を借りて返済義務を負った時に初めて通貨は価値を持つのです。これを信用創造と言います。ですから通貨とは誰かの負債なのです。
税金は財源ではない
国にとって税金は財源ではありません。通貨発行権を持つ国は自国通貨を無から必要なだけ発行できるからです。それなのに国民に税金を課しているのは、発行している通貨の価値を保証する必要があるからです。国民が納税のための通貨を得ようと懸命に働くことによって、通貨の価値を支えているからです。
このことは財務省がこだわるプライマリーバランスの黒字化がいかに間違ったことであるかを証明しています。国が発行した国債の償還財源は民間の預金や税金ではありません。金融機関の当座預金から償還するのであり、その当座預金は日銀から必要なだけ提供されます。ですから償還できなくなることなどあり得ないのです。日銀も認めている信用創造を財務省はいまだに理解できていません。矢野元次官の発言がその証拠です。このことは日本国民にとって大きな悲劇です。
国債とは
国債は政府が発行し、日銀が窓口となって一旦金融機関が公募入札という形で購入します(ここで価格が決まります)。その後日銀は金融機関から国債を買い上げて同じだけの通貨を発行し、金融機関の日銀当座預金口座へ入金します。こういう手順を踏むことで政府による国債の発行量を制御しているのです。
全体主義と個人主義の狭間で
普遍的な概念としての「人間」は存在するのかしないのか。存在すると説くのが実在論、存在しないと説くのが唯名論です。その論争を普遍論争と言い、11世紀から始まっています。
実在論では、例えばアダムとイブの原罪はすべての人間が共通に持っているものということになります。そのため実在論の行き着く先は全体主義です。しかし共同体意識も実在論から生まれます。
唯名論では、人間とは単に呼び名に過ぎないのであり、原罪はアダムとイブだけのものということになります。そのため唯名論の行き着く先は個人主義です。しかし共同体意識は失われてしまいます。
つまり共同体意識も個人の自由意識も必要なことなのですが、どちらかに偏ると社会全体がろくでもないものになってしまいます。現在は明らかに唯名論に偏っています。LGBTの権利を求める騒動などはその一例で、個人の自由意識が暴走してしまっているのです。そのため私たちは常にその狭間で良好なバランスを保つよう努力し続けなければなりません。
自由と平等の間にある相関関係
評論家で「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長の西尾幹二氏は、次のように仰っています。
我々の生きる近代世界では自由と平等の間に相関関係があります。自由が行き過ぎると力が一部に傾き、強い者への偏重が起こり格差が生じるので、これを是正するために平等への欲求が強まり、補正が図られることになります。逆に平等が行き過ぎると全体が無気力になり、サボタージュが広がり、弱い者の有利さばかりが目立つようになるので、これを是正するするために自由競争の復活が求められることになります。こうして自由と平等の間をバランスを求めて振り子のように往ったり来たり揺れ動いているのが、我々の生きている通常の世界です。
アメリカの奴隷とプアホワイト
アメリカは奴隷を恐れていました。独立戦争前はそういう状態でした。インディアンも怖いし黒人も怖かったのです。それをどうやって統治するかということが初期の入植移民たちにとって頭痛の種でした。インディアンは奴隷としてはうまく使えませんでした。勇猛果敢で現地で自治組織を持っていた人々であり、倫理意識も高いし気質も立派だったためです。そこでインディアンを諦めて黒人を利用するようになったのですが、そのうちヨーロッパから労働人口としてプア・ホワイトがたくさん入ってきて彼らを使役するようになりました。しかしプア・ホワイトが黒人と手を結ぶことが恐怖でした。つまり反乱が怖かったのです。そういう記録がたくさんあります。それで考え付いたのが両者の分離策でした。プア・ホワイトの人種と諸権利を認め、黒人と分けてしまうのです。そこでプア・ホワイトと支配層の間に「平等」という概念がアメリカで初めて出てきます。あの独立宣言の美しい言葉、自由と平等がこのようなご都合主義から出てきたことは紛れもない事実です。またかつての宗主国イギリス政府に対して主張する必要もありました。
アメリカ人に国際社会など存在しない
アメリカ人は国際社会など存在しないと思っています。アメリカが世界であり、他国はやがてアメリカに飲み込まれて支配されるものと思っています。これは中国人の中華思想と同じです。中国だけが文明の華咲く世界の中心であり、世界は中国にひれ伏すものと考えています。ここに両者の共通点があり、どちらもグローバリストなのだということです。
朝鮮人は日本帝国の軍人になりたがっていた
かつて嫌がる朝鮮人を強引に軍隊に入れ、兵として駆り立てたなどというのは嘘です。日本の帝国軍人になりたがっていた朝鮮人はたくさんおり、記録によると志願兵の競争率は昭和13年7.7倍、15年で28.1倍、17年56.6倍でした。日本の陸軍士官学校を出て将校になった者も多く、中には戦犯として処刑された者までいます。それに引き比べイギリス植民地では本隊が退却した後、グルカ兵が鎖で足を縛られて残され、敵に殺されるまで銃を撃つように命令されていた例があります。日本軍はこんな無体なことはしていません。
ハングル文字は日本総督府が普及させた
かつての李氏朝鮮は中華受け売りの儒教文化に支配され、身分制度の中で両班(ヤンバン)という文官や武官が専横して国民を苦しめ、実に哀れな国でした。そもそもハングル文字も15世紀に作られてはいたのですが、両班から軽蔑されていたためまったく使用されていなかったものを、日本総督府が普及させて今日に至っているのです。
朝鮮人の歴史認識
朝鮮人の主張するあまりにも偏屈なアジア史の認識は朝鮮半島内でしか通用しません。
朝鮮人は精神分裂国民
明が滅び満州族が清朝を立ち上げた時、小中華意識のあった朝鮮人は我こそ中華文明の正当な継承者だという自負がありましたが、その朝鮮も北の野蛮人と見下していた満州族にひれ伏さなければならなくなって心が屈折してしまったのです。その鬱積した心理をどうすることも出来ないため、日本に向けて吐き出しているのです。哀れな精神分裂国民なのです。
朝鮮人に対する統治
朝鮮人は歴史的に中国王朝や北方民族に蹂躙され続け、すっかり民族としての誇りも自尊心も失ってしまいました。しかし中国は南宋の時代に朱熹という人物が出て朱子学を打ち立てたところ、朝鮮人はその「負け惜しみ哲学」がいたく気に入り、朝鮮は中国に準ずる「小中華の国」であるとして、周辺の国々を四夷(野蛮人)と蔑んで優位に立とうとしました。そんな虚勢を張ることでしか正気を保つことができなかったのです。だから中国以外の周辺諸国に対しては居丈高にふるまうのです。特に日本人に対しては華夷序列が下位のくせに朝鮮を支配し、朝鮮人を蔑んできたとの意識から恨み骨髄なのです。よってこんな連中をいくら諭そうとしても無駄であり、力で捻じ伏せ苛酷に服従させるしかないのです。そうすれば意外と素直に従うことは中国の先例が示しています。むしろ「小中華思想」のように服従の大義を自ら捻り出し、積極的に服従するようになるのです。それが朱子学徒の習性なのです。
朝鮮という国名
シナ人には周辺民族の国名にわざと卑しい漢字を充てる悪癖があります。そこで朝鮮は自ら複数の国名候補を挙げて、その中から明に選んでもらいました。それが「朝鮮」なのです。日本は当然自ら命名したものです。
大東亜戦争後の賠償
韓国とは戦争をしていないため賠償を支払っていませんが、当時の朴大統領に対する気持ちから5億ドルの協力金を支払っています。中国は賠償を放棄しましたが、代わりに日本はODAという形で巨額の支援を続けてきました。しかしこのせいで日本はバカを見ることになります。中国政府は国民にこの支援を全く知らせず、逆に反日教育を続けていたのです。
虚構の南京大虐殺説
カンボジアのポル・ポト政権によるジェノサイドは、背後で毛沢東親衛隊による指導があり、そのことが世界中に報道された時、中国政府は突然、日本帝国陸軍による南京大虐殺説を持ち出してきたのです。あの大の日本嫌いで有名な江沢民の時代です。
日本とドイツの国家賠償の違い
同じ敗戦国ですが、ドイツは国民に集団の罪はなく、政治上の責任としてナチス幹部や党員などの個人の罪があるのみだとして、すべての交戦国に対して国家賠償を一切せず、個人に対する補償のみを行ってきました。そのため今でも被害者が見つかれば支払いをしています。しかし日本は過去の通例に従って国家賠償を選択し、既に戦後の補償はすべて完了しています。ですから今さらとやかく言われる筋合いはないのです。
